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僕の写真撮影の原点かな?が発掘された件。

 年末から熊本ベース(熊本の自宅)の物置を掃除しています。
 小さな物置が2つあるのですが、両方とも、たぶん1983年に母があれこれとりあえず突っ込んでそのままになってる。

 タイムカプセルですよ、ある意味で。

 なんで母が「とりあえず」突っ込んだかというと。
 僕が大学に進学して東京に行ってしまったその年、父も単身赴任で東京に行っていました。
 その家は前年の1982年秋に完成した新築の家。
 母は真新しい家に一人取り残されたのでした。

 自分が住む家を心地いい空間にしようと母は考えたのでしょう。
 僕が生まれて初めて手に入れた「僕の個室」が、1983年の夏に4ヶ月ぶりに帰省すると、なくなっていました。
 部屋が模様替えされたとか、そんなレベルではありません。
 改築されて(!)部屋自体がなくなってた。

 新築の家をいきなり改築して改造するという暴挙www。僕はせっかく手に入れた自分の部屋がなくなったことで心底がっかりしました。

 その家を2020年から一人で大掃除したり物置の整理したりしていて、いままで想像だにしなかったことが見えてきました。
 つまり、母は一人で寂しかったのだと。
 それを紛らわしたり、東京にいる父や僕に存在を示すために、特に父と相談する時間や機会が欲しくて、改築に踏み切ったのだと。

 父は東京に単身赴任しているあいだ、母へ週に一回手紙を送っていました。
 単身赴任は4年間ほど。
 200通くらいの手紙が東京から熊本宅へ送られたことになります。
 父が手紙を頻繁に母に送っていたことは知っていました。父は僕にも母に手紙を書くように促しました。しかし母が寂しがっていることを父ほど僕は切実に思うことができず、僕には手紙を送った記憶があまりありません。

 そんな母によって物置に「とりあえず」突っ込まれた荷物の数々。
 でもきっと突っ込まれたのはモノだけではなかったのです。
 母は小さな物置にモノと一緒にどうしようもない寂しさも閉じ込めたのでしょう。そうして僕らが帰省するとそんなことはおくびにも出さず明るく振る舞ったのです。

 いま僕は物置の中の雑多に積まれた箱を開けて中身を確認し、大方のものはゴミ袋に入れて捨てていきます。

 そんななか、取り出した段ボール箱の底に合皮の黒い包みがありました。
 中から出てきたのは小学生の頃に買ってもらったトイカメラ。

 当時父が使っていた富士フィルム製のカメラと似ている外観。
 でも、機能というかスペックは全然違います。

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 絞りはお天気マークで合わせます。
 晴れ。晴れ時々曇り。曇り。フラッシュバルブ。以上。
 ストロボでもないですね、そんな電装機能ないです。

 謎が一つ解けました。
 納戸の袋の中から小学生から中学生の頃に撮った写真が大量に出てきます。
 でも、愛用していたYASHICAの一眼レフを買ってもらったのは高校生時代。
 どうして小中学校時代の写真が大量にあるのだろう?確かに自分で撮った記憶はある。けれど、どんな機材で撮った?それが疑問でした。
 このMeikaiという名前の、絞りが4つしかない、標準レンズしかないカメラ。手にした時にありありと記憶が蘇りました。このチープなカメラで撮ってたんでした。

 納戸から発掘されるセピア色になった写真たち。
 もちろん小学生、中学生の僕に現像・プリント代を払うゆとりはありません。
 すべて父が、下手くそな僕の写真を、それと分かりながら現像に出し、プリント代を払って、夜遅く帰ってきて「できてたぞ」と渡してくれたのでした。

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 Meikaiのこのカメラと再会して、母の楽しい時間と淋しい時間、父の「どういう芽がでるかわからんけど、アホの息子が持ってきたフィルムの現像プリント代を出させられ、才能のかけらもない写真を見たときの落胆」などが、僕にまつわる愛情の世界として迫ってきました。

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 なんが明快(Meikai)やねん。

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