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#03 感動の居場所

初めてトライアスロンを観戦した。
トライアスロンと言えど、パラのトライアスロンだ。

きっかけは高校時代の友人が本気でパラトライアスロンに挑戦しているのを知ったから。


「次の大会いつあるの?」
「今週の日曜!」
「まじ?たまたまその日部活休みだから行くわ!」

こんな会話が大会5日前の話。
片道約2時間かかる移動距離。費用もかかる。
それでも行きたいと思ったし、何より新たに挑戦している友人の姿を見たいという気持ちが距離や費用なんて理由を打ち消した。


トライアスロンは泳ぎ→バイク→ランの順番で行われる。

会場の入口がわからず、残念ながら泳ぎは見れなかったがバイクから観戦できた。


「かっこいい」

純粋にそう思った。

高校時代から一緒に切磋琢磨してトレーニングや試合をしてきた。その中でお互いが真剣にサッカーに取り組んでいる姿は見てきたはずなのに。

それとはまた違う興奮があった。
時間が経つにつれ荒くなる呼吸。震える筋肉。それでも、足は止まらない。一歩一歩、確実にゴールへ近づく。

ゴール。
結果は優勝。総合ではわからないが、友人の参加したカテゴリーでは優勝した。

おめでとう!


感動した。


スポーツ選手はよく、「見ている人を感動させたい」とコメントする。
本心だと思う。けどプレイヤーである僕自身、負けて課題以外に何が残るの?と思っていた。
負けたのに感動なんてするの?と。

感動する。

友人が本気で自分自身に向き合い、それをこの大きな場で発揮し、最後まで戦い抜いたその姿に感動した。結果ではなくその堂々と向き合う姿に。
それが実り優勝という結果がついてきたが、優勝していなくても僕は間違いなく感動した。鳥肌が立った。


友人が他のスポーツで真剣に挑戦しているところを現地で応援するのは初めてかもしれない。

だからこそ知れた感情がたくさんあった。


競技をやっている本人は勝ちたいという気持ちが一番にある。
勝てば嬉しいし、負ければすごく悔しい思いをする。

応援する立場の人も勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。そこは選手と同じだ。
それでも、たとえ負けたとしても、応援している人々の心はちゃんと震える。心の奥底から湧き出る何かがある。
周りの人は小声で選手に気づくか気づかないかくらいの声量に対し、僕は無意識に友人に聞こえる大声で応援していた。

それはだれが何と言おうと、本気で戦う選手の姿がそうさせているということ。

選手の姿には、他人の心を動かす大きな力がある。感動させる力がある。



サッカープレイヤーとして僕の人生もまだこの先続く。
そんな中で、この感動という感情をどんな時、どんな人から与えられるのか。これを知れたことは大きな財産だ。

そんなプレイヤーになりたいと思ったし、応援される人になりたいと思った。


感動をありがとう。
頑張ります。

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