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『「トランス女性は女性でない」と「女が女らしいのは女だからだ」は同じ論理構成』

トランジション中は、本人も周りも大変だ。なぜなら、バイナリーなジェンダーの有り様以外を、社会が否定すべきだとしているせい。そのせいで、バイナリーなジェンダーの壁を乗り越えて、トランジションし、生まれて登録されたのは別な方のジェンダー・ステレオタイプに、ぴったり納まらないといけないから。

そのぴったり収まっている「女の有り様」は、フェミニストが苦しみ、脱出したいもの、そのものである。同じものである。なぜなら、バイナリーなジェンダーとは、ジェンダー・ステレオタイプだから。女と男は、生まれながらにして違うのを理由に、社会成員に押しつけられているステレオタイプだから。

繰り返そう。トランスが苦しんでいるのと、フェミニストが苦しんでいるのは、同じもの、である。同じ、ジェンダー・ステレオタイプである。

どうしてわかるかと言うと、私が長らくフェミニスト研究者の中で、その一員として、トランスジェンダー研究をしていたから、だ。私のトランスジェンダー研究は、なによりもジェンダー研究である。

私は、クイア研究者とは共に歩まず、フェミニスト研究者の中で、ジェンダー研究者として仕事をしていた。

私の修論は、まさにタイトルがどのように可能になっているか解こうとしたものだ。つまり、女に女らしさを押しつける論理を解明することを目指していたし、今もそれを目指している。そのタイトルは、『女であることと女らしさの構成』。

それは、現在でも私の問いであり、TransMascGenderQueerとしてステレオタイプへのアンチを唱えている源であり、そうやって前進しようとすることで、現在でも、生き延びている。

また、フェミニズムの主張と共に、むしろ調査法や研究法や方法論を全面に押して社会学をやることで、抜けがけ的に出世した。それは、一つには私の戦略であり、もう一つには科学信仰のため。また、それらに向いている脳の発達特性のため。

しかし、それにより、男社会のアカデミアで、同じようにジェンダー平等のために日々闘っている女性でない人たちと、共にやってきたし、その人たちの日々の努力を知っている。

フェミニズムを信じる同志よ。シスもトランスも、女も男も、ノンバイナリーもジェンダークイアも、ジェンダー不平等と、全ての差別に反対して、声を上げようとしている同志よ、共に闘おう。



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