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『発達傾向の遺伝性と脳の可塑性(研究ネタ帳18)』

私は知らない人とか、隣に座ってる人とか、話しかけた人に、触られることがものすごく多い。通常そんなことはないらしい。ある時は、勝手に触るなという詩を歌った歌手に共感して話しかけたら、触られたこともある。「は???」っと思ったけど、何も反応しなかった。そして、それがダメらしい。

最近、触られると、あるいは触ろうとされた瞬間に、「あ(に濁点)?」と眉をしかめて相手を見るようになっているらしい。そのため、相手が触る直前か、触ってから、謝ったり言い訳したりするようになった。(こういう反応をするようになったのは、トランジションしてマスキュリンになっていっているのと、関係あると思う。)

私のマッサージセラピストの一人は、男性に直接触ってマッサージして、されている相手がいやらしい気持ちになるのは、ある意味当たり前だから、そのいやらしい心の動きの現れや行動を、ビシッと遮断する必要があり、しかし、そうすれば問題は起こらないと言っていた。それを私が「何かされるとカメハメ波を出す能力」と呼んだら、みんな笑っていた。

この一連の話しだけで、十分にアスピー的な物語だけれど、日本だと診断はムズイらしい。知らんけどど。

ここで、注意したいポイントの一つは、みんな誰かに、ぱっと触られることがあっても、いちいち気にしてないし覚えてないので触られていることになってないのではないか、ということ。実際、やっているのに意識的でないので記憶にないこと、というのは、しばしばあることだ。誰にでも。

もう一つは、触ってくる相手は、触っても問題ない相手かどうか(つまりカメハメ波が出ないかどうか)を見分ける能力を持っているが、実は、それは万人にあるもので、キチンとしている人(大概の人)は触ってはいけない場面では触らない、ということをしているだけ、なのではないかということ。

以上は対面的コミュニケーションから、発達傾向について考える場合に考慮したい点だ。

いちいちそんなことを分析しているのが、これまたアスピー的である。しかし、こういうアスピー的な傾向が脳みそに由来するとしても、それが、生まれながらの発達傾向か、トラウマ由来かは区別するのが困難なことに既に精神医学的なエビデンスがある。特に虐待児は、異様に分析力が高くなる。

その一方で、脳には可塑性がある。育ちで決まるというのは、日々のコミュニケーションの中で、一定の傾向を持った経験を積み重ねるという意味である。それは脳に影響を与えるだろう。にも関わらず、発達傾向を、生まれながらのもので固定だとするのには、それなりに無理がある。

以上のような、脳の可塑性と発達傾向の遺伝性との関連についての論文が既にあるだろうし、それなりに料理したら、いい研究ができそうだ。

その際に、遺伝子とかの理系の研究や、双子の研究などのやるのにお金やら何やらがかかるものではなく、質的調査研究で発見的な研究をすることもできると思う。その際には、この文章の中で例に挙げてきたような対人間のコミュニケーションにおけるやり取りの観察から、研究を展開することも可能だろう。

私のように、いちいち色んなことを観察して考えているタイプの人を探してインタビューしても良いし、私のように自分で観察したことを、何がしかの方法論にのせても良いと思う。

ということで、役に立ったら、この記事を買って、私が生き延びるのに協力をしていただけますと幸です。ぜひ、よろしくお願いいたします。

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