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被虐待児がDV加害者に転じる現象に対する説明
どこかで見かけたのですが、私がエビデンスというものを、#し#か#る#べ#き#仕方で確保しなくてはならない、と思うのは、タイトルのような話に対して。
また、そういう話は、他者への、あるいは世代間でのトラウマの受け渡しを止める、そのやり方の探求の一環として、なされるべきと思う。これは、ソーシャルジャスと関連して。
以下は、私自身の今後の、関連する分析などのためのメモ書きであるが、
自分の暴力性(基本的に誰にでもあり、自覚の有無の問題と思うが、被害経験によって増幅するということはありえそうだ)
コントロール欲求(虐待児は、自分では何もかもが、あるいは何かが、コントロール不能な状況に置かれる。これは虐待の典型的特徴として注目すべきと思う。また、これは後に、自分の暴力性と他者の暴力性の両方に向きうる)
コンセント(暴力性に対するコントロール欲求の解消装置)
の、三つの要素を入れて、記述を試みると、うまくいくと思う。
エビデンスは、トラウマを癒す、あるいは引き受ける、またトラウマを他者に受け渡さない方法として実践されている、BDSMの理論と実践の探求により、取ることができると思う。
これはまた、事例研究として行われるべきではないと思う。トランスジェンダー研究が、あるいはトランスジェンダーを研究する社会学的研究が、ジェンダーバイナリーとは何かの研究であり、ジェンダーバイナリーには外があることを記述する研究(であるとジェンダーの社会学のなかのトランスジェンダー研究は、すでに位置付けられているのだが)であるのと同じ仕方でなされるべきだ。
つまり、トラウマの受け渡しという現象の記述によって、トラウマとは何かは探求可能なのだが、それは、BDSMあるいはキンクライフスタイルという装置の記述において/として成し遂げることができる、という意味である。
特に、トラウマを生じさせずに、暴力行為を行い、あるいは引き受けることで、トラウマを癒すその実践の記述によって、トラウマになるような暴力のあり方を逆照射することで。それにより、記述そのものの暴力性も防ぐことができる。トラウマ研究によって/において、トラウマが受け渡されるのもまた、避けるべき事態だから、である。
作文があんまり上手くいってないんだけれも、取り敢えず。あと、この手の話って、本当にわかりにくいみたいなのよねー。
社会学生理論とは何か、について、考える一環として、あるいはその延長線上で、理解しないと分からないから、なのかもしれないわ。理論研究では、ありがちな話だと思うんだけど、、、
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