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『日本社会学会のトランス差別に関連して』

Twitterで、下地ローレンス吉孝さんが、以下のツイートをしていました。
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日本社会学会のダイバーシティの定義に違和感

「性別」
「SOGI」
「エスニシティ」
「国籍」
「宗教」
「年齢」
「世代」
「心身の障がいの有無」
「肌の色」←ここだけなぜピンポイント⁉︎

ここには日本のアカデミズムにおいて、社会構築主義的な「人種」概念の研究不足や概念そのものの利用の忌避

(さらに)

これ、仮にジェンダーに置き換えてみた場合、
例えば、ダイバーシティのさまざまな要素のなかに「性」や「ジェンダー」ではなく、もし「性器の状態」といきなり書かれていたら違和感を覚えないでしょうか?
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カナダでは、IBPOCというタームを使いますが、Indigenous, Black, and People of Colorの意味で、白人社会の中で不利になる「白人以外」を現す概念です。その概念はアクロナムなわけですが、その最後のカテゴリーが、肌の色に言及しているから、日本社会学会でもそうなったと私は予測します。しかし、白人以外をまとめる北米の概念ですから、アジア圏内の日本で使えるかどうか、よく考える必要が、まず、あると思います。

という話は、プロに任せて、私はジェンダーの話をしましょう。

まず、「性別」を使いジェンダーを避けるのは、英語圏の社会学の動きとは逆行しています。

英語では、全てにGenderというタームを使います。
「Assigned Gender (at Birth)」は、日本語でいうところの「性別(せいべつ)」に相当しますが、具体的には、個人が生まれたときにペニスがあるかないかに基づいて登録されるもののこと、です。もちろん問題は、英語か日本語かではありません。なぜ、英語圏でGenderという概念が採用されているかという、その理由こそが重要なことです。

ジェンダーを使わなかったことから、ローレンスさんの言うように、「性別」がずばり性器に由来していることをあからさまに書いていることになります。しかし、人が女や男であることは、性器とは別の次元の問題系にあるというのが、相互行為論的なジェンダー研究の知見です。そのため、あえて「Assigned Gender (at Birth)」という概念が「性別」に代わって採用されているわけです。日本社会学会の文書では、そういう学問上の進展により、可能になった配慮が一切無視されています。

なぜでしょうか?

ゴフマンのパッシングという概念が人種由来であり、それをガーフィンケルがトランスジェンダーに関わる実践に対して使用した、という社会学史上、重要な社会学の知見を無視しているから、です。

相互行為において、人種は肌の色とは異なり、性別は性器の形状とは異なる、というのが、重要な社会学の知見そのもの、です。

構造主義的ジェンダーの分析、相互行為におけるジェンダー、トランスジェンダー研究の、三つがジェンダーの社会学を大きく前進させたと、アメリカの社会学の教科書シリーズのジェンダーの社会学のイントロダクションに書いてあることからわかるように、この社会学的知見を無視することには、極めて大きな問題があります。

加えて、「性別とSOGI」が別建なのは、そもそも「ジェンダー平等とダイバーシティインクルージョン」を別建にしているのと関係しています。

性別とSOGIを別建にすることにより、性器に由来すると日本社会学会は言いたいであろうAFAB/AMAB(/その他)の平等の問題、と、シスヘテ以外に関する問題、は、別の問題である、という問題設定の仕方、それ自体が提示されることになっています。ダイバーシティインクルージョンとは、そのような別立てをやめて、すべての違いを包括的に考えるための概念であるのに関わらず、です。

日本社会学会は、一体、この文章を何のために出したんでしょうか? トランスジェンダーへのバックラッシュに加担したかったから? そうではないなら、あまりに「不見識」です。

私はすでに日本社会学会の会員ではないです。みんなで日本社会学会を辞めて、ボイコットしたら良いのではないでしょうか。社会学者らしい抵抗の仕方ですし、それで就職の際に日本社会学会の会員かどうかで選別される事態になったら、難民したらいいと思います。


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