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Sc.34 安心と信頼の松田節

寒いなぁ。
すぐに起きたくないので布団の中でインスタグラムを見ていた。イタリアの富豪が自宅の広大な庭でセグウェイを乗り回す動画を見て元気が出て起きる。金持ちはこうでなくてはいけない。

この富豪は先日「生まれてくる子供の性別が女の子であることをヘリがピンクのスモークを焚きながら飛んでくることで知る」というダイナミックな動画もアップしていて、スケールの壮大さに爆笑した。推しインスタグラマーの1人だ。

傘をささないのは久しぶりだねと手をつないで登校。校庭の水捌けの悪さは昭和と変わってないようでぐっちゃぐちゃだった。小ノスタルジック風景。このまま乾くとボコボコになるんだよな。

仕事は今週の山場打ち合わせが滞りなく時間通りに終わりドワッと疲れた。
滞りなかったけれど、行きがけに買った飲み物の水滴で手持ちの資料がしっとり濡れるという軽めの恥はあった。おかしいなぁ。そうならないように入れたはずなのに、しっとりしてるのが私という人間だ。

買い物して帰宅。
長男は学童でモノポリーをやっていて先生に勝ったりしているらしい。そのまま不動産投資やお金儲けがうまくなるといいね、とイメージだけで思った。モノポリーはやったことがない。

夜ご飯はめかぶ納豆マグロ冷奴や牛肉野菜炒めなど。目についたタンパク質を使い倒した。

次男は最近、話を盛りすぎる傾向がある。
盛るだけでなく「コグレ先生は人間をロボットに出来るんだよ」「○○君は、お兄ちゃんと妹がいるんだよ(いない)」など、そもそもあり得ない話をしたりする。

嘘つきになるのは困るけど、イカンよと注意するのもなんだな、と久々に松田道雄著『育児の百科』の「うそをつく子」という項目を読む。

子どもが、面白かったことを親に話すとき、よくうそがまじる。子どもの楽しい記憶の中で、現実と空想とが入り混じっているのだ。おとなは想像力が低下しているので、現実は現実としてしか、うけとれない。子どもの、絵を見ればわかる。おとなから見ると、ずいぶんかわった色がつかってあるが、子どもの心の中では、それが真実なのだ。子どもの記憶のなかの美しい世界は、絵そらごとでしか表現できないのだ。「そんなうそをついてはいけません」ととがめると、子どもは表現の出ばなをくじかれて、だんだん、空想力を失っていく。

うむ。
松田先生の独特の文章はいつどのページを読んでも力強くてぶっきらぼうなようで暖かく、ちょっと泣きたくなる。
1967年第一刷。でも支持されている理由はここに詳しく書いてありました。

考えてみると、話を盛ったり、ないことをあるように話すことは、関西在住時は息を吐くようにやっていたし、というか今でも話を盛るのは大好きだ。

盛るとみんな笑ってくれるからな、と思うと、次男も同じ気持ちなんだろう。人が笑ったり驚いたりしてくれるのを喜びと感じるのならナイス成長だ。

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