勤路記40.教え教えられ
朝は湿度が低い。
風が心地よいのを喜びながら昨日の出来事を反芻して歩く。
今月から私は長いこと就いていた業務を外れ、社内で全く新しい仕事をすることになった。
これまでの仕事は3人の後輩と私でやっており、私が抜けることを大いに不安がっている。
そりゃそうだろうよ。あたしゃあんたたちが青春時代を過ごしていた頃からこの業務やってたんよ。
1番新人の子が少しイレギュラーな仕事をどう進めていいか分からず相談してきたので、一緒に情報を整理した後「何をどうしていいのかわからなくて不安で、誰かからの『それでいいんだよ、あってるよ』てお墨付きがほしいよね。けど、残念ながらそんなものがもらえることはほとんどなくて、自分でぶつかったり落ち込んだりしながら、考えてやってみてなんとか最初は60点ぐらいに持っていくのの繰り返しなんだよ」と話した後、ほんまそうよな、と自分の新しい業務への不安の手触りを確かめた。
手塚治虫の『ブッダ』では川のほとりで瞑想中に現れたヤタラという巨人に己の存在する意味を説くという形で、自分でも考えたことのないような言葉が紡がれシッダルダは悟りをひらく。
なんかそれみたいだと思った。
教えを請われるというのはありがたい話だ。
そのあと上司がやってきて「長州力が抜けたあと、闘魂三銃士が新日(プロレス)の看板を背負って立った。君の後輩3人もこれからそれぞれ、武藤、橋本、蝶野となるのだ」と言うので、なるほど私は長州力なんですね、というと「長州も今じゃ面白おじさんみたいだけど昔は…」とプロレス英雄烈伝が始まったので面白く拝聴した。