還暦になったSODA~認知症になった父の施設入所~(還暦SODA、聞こえるきょうだい②)
SODA(ソーダ、聞こえるきょうだい)の体験の一例。今回は還暦になったSODAというタイトルで、鈴木浩さん(兄の立場、妹がろう者)に第2弾の原稿を書いていただきました。
年下のSODAや保護者、先生、周囲の大人の方々に役立つように「いろいろ『語りたい』気持ちがありますね」「家族が向き合う大事さを早く知ってもらえたら」という大切なメッセージをいただいています。
鈴木さんよりも約20歳年下のSODAの私の両親は70歳前後ですが、これから聞こえない弟と一緒にどう向き合っていきたいか、のイメージを具体的に考えるきっかけになりました。こういった自分にとってまだ未知の世界の記事を読ませていただいてヒントにできるのは本当に嬉しく有難いです。
認知症になった父の施設入所、対応や手続は私が一人で
自分自身も還暦を迎え、両親も86歳となった昨年、父が認知症となり、施設入所を余儀なくされました。そもそもの原因は、昨夏にコロナウイ
ルスに感染し入院したこと。そこから急激に悪化し、老健施設へ。年が明けてこの3月にようやく特別養護老人ホームに入所となりました。この間
の対応や手続きは、もちろん私が一人で行いました。母には無理。全聾の妹にはもっと無理です。
耳が聞こえないことがへんな目で見られることもなく、戦後の人権教育の成果を感じる
病院、老健、特養と、そのたびに、施設の職員には、妹夫婦が全聾であることを説明しました。幸い、近頃は、それによってへんな目で見られる
こともなく、むしろ親切に対応してくださいます。これは、手前味噌ですが、戦後教育の成果だと思います。人権教育は、それなりに効果を示して
いるのです。あまり指摘する人がいなくて残念ですが。
両親は、聾の娘を育て、その娘は聾の男性と結婚し、CODAを3人も育ててきたことを、どう思っているのか。そんな中での父の認知症。妹の反応。
両親を見ていると、聾の娘を育て、その娘は聾の男性と結婚し、CODAを3人も育ててきたことを、どう思っているのか。SODAの自分として、いろいろな視点から考えさせられることも多いのです。
そんな中での父の認知症です。要介護5。私のことも、自分のつれ合いである私の母のことも分からなくなっています。それなのに、妹は、当初、父の認知症のことがうまく理解できず、「また家に帰ってくればいいね」などと言っていました。さすがに、最近は理解してきたようですが。
3月下旬、父が入所するとき、妹夫婦も一緒に付き添ったのですが、父は、私の妹、つまり自分の娘のことを「俺の妹だよ」と施設に人たちに紹介していました。
鈴木 浩(ゆたか) さんプロフィール
1963 年 横浜生まれ 妹は全聾。妹の配偶者も全聾。
1986 年 中央大学文学部史学科卒
同年より、横浜市立中学校の社会科教諭として勤務
4月より再任用となる。
共著『教室から学ぶ法教育』『教室から学ぶ法教育2』など
SODA、聞こえるきょうだいって?聞こえないきょうだいをもつSODAの会
他の記事は♯還暦SODAからお読みください
今後も不定期で連載させていただく予定です。他の記事は、♯還暦SODAからお読みください。
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追記:2024年9月現在は①~④まで掲載しています。
「きょうだい」がいつか辞書などにも載るコトバになりますように!!