【大幅加筆】優生保護法の裁判に”きょうだい”として関わった理由と思うこと:ようやく言えた・・・ことに感謝して(マガジンをスタートするにあたっての弁護士藤木和子の思い)
20年前から活動してきて、ようやく・・・飯塚淳子さん
優生保護法の弁護団に入りました。
優生保護法(1948~96年)とは、障害や病気のある人に対して、「”不良な子孫(病気や障害のある子孫)”の出生を防ぐ」ために、強制不妊手術(子どもを作ることができなくなる手術)や中絶を定めた法律です。
2018年から宮城で裁判が始まり、原告は宮城、札幌、東京、熊本、兵庫、大阪、静岡の全国7ヶ所で20名。全国的に注目されるようになったのには、20年前から活動されてきた飯塚淳子さん(仮名、原告のひとり)というひとりの女性の方の存在がありました。
飯塚さんは、今から54年前の16歳の時に不妊手術を受けさせられました。飯塚さんの場合は、家が貧しくてきょうだいの人数も多く、学校に行けなかったことから知能テストの点数が低かったために、「知的障害があるとされて」手術を受けさせられました。
※優生保護法の手術の対象は、本来は「遺伝性の障害や病気」でした、しかし、その後、遺伝の有無に関わらず障害や病気一般、さらには、飯塚さんのようなケースや思春期の素行不良等にまで広がりました。
飯塚さんが活動を始めた20年前、私は中学生でした。
今回改めて、裁判の根底にある優生思想(いわゆる健康であることが”優れた生”、障害・病気を”劣った生”と見る差別や偏見)という大きなテーマは、私自身影響を受けてきた”自分の課題”であることを実感しています・・・。
こちらは優生保護法弁護団に入ったのをきっかけに取り上げていただいた記事です。ある意味で、(きょうだいとしての)私のこれまで誰にも言えなかった叫びですが、多くの方に知っていただき、一緒に考えていただけたらと思います。朝日新聞2018年7月23日の記事が元になっています。
実は、私は小学校低学年の頃から、障害のある弟がいる”きょうだい”として結婚、出産のことで悩んでいました。
弟に障害があることを母のせいにするような周囲の言葉をたびたび目に、耳にしました。
母や弟がいる前ではさすがにしないですが、私はまだ小学校低学年で意味がわからないと思ってするんですよね。でも、わかってしまうんですよね。
(悪影響しか及ぼさないので絶対にやめてください。面白半分にそのような根拠のないことを思ったり、知り合い同士で言ったりするのは個人のご判断にお任せしますが、離れた関係のないところでしていただきたいと思います。そして、できることなら、「そういうことを言う相手が間違っていて悪いんだよ」、と守ってくれる側の周囲の人になってほしいと思います。)
まさか、母に「ねえねえ、あの人がこんなこと言ってたよ」とも言えず・・・。もし父や誰か適切な人に適切なSOSを出せていれば、怒って注意してもらえたのではないかという反省と後悔もありますが、誰にも言えませんでした。
当時は子どもだったので、そういうことを言う相手が間違っていて悪いんだと、怒ったり泣きわめいたりして跳ね返すという発想もなく、言われてもしょうがないよね、世の中そういうもんだよね、私も母や弟と一緒に悪口や陰口を言われる側、生まれてこなければよかったと理解しました。
自分ひとりの世界での自問自答を繰り返し、ひとりで強くたくましく生きていこう、いつか見返したい、と勉強は頑張っておこうと思いました。
全国で約200名の弁護団での私の役割は、”自分の問題”に向き合い、”きょうだい”、”家族”という当事者に近い立場で、発言(必要であれば代弁)、行動していくことだと考えています。
200人のうちひとりくらいはそのような弁護士がいてもいいのではないかと・・・。
原告の方の”義姉”という存在
”きょうだい”では、知的障害を理由として手術を受けた佐藤由美さん(仮名)の”義姉”の佐藤路子さん(仮名)が、熱心に活動されています。
家族の立場からの思い、悩みや葛藤もお話してくださっています。
(由美さんは、路子さんの夫の妹さんです。路子さんの娘さん、息子さんも含めて家族として、40年以上一緒に暮らしてきました。)
路子さんは、包み込むように温かく、そして、信念をまっすぐに貫かれる方です。しかし、嫁いできて、由美さんのお腹にある大きな傷を見て驚き、義母に尋ねることができたのは1度きり。遠慮せざるを得ませんでした。疑問を持ち続けながら、わからないまま長い時間が過ぎ、最初にご紹介した飯塚さんのニュースを見て、ようやく「妹もだ・・・!」「優生保護法という法律による手術だったのか・・・!」と気付きました。
「義を見てなさざるは、勇なきことなり」
(今、自分がなすべき正しいことを知っていながら、それを実行しないのは勇気がないということ)という論語を引用されていました。
子どもの頃からあきらめに似た気持ちもどこかにあった私にとって、路子さんという”義姉”の存在は不思議なつながりを感じると共に、とても心強く、励ましと頑張る力をくださる存在で出会いに感謝しています。
東京の原告 北三郎さん(仮名)とお姉さんの関係
北さんは、複雑な家庭環境からの(母が早くに亡くなった後、父が再婚して弟が生まれた)思春期の素行不良を理由に14歳で手術を受けさせられました。
北さん:「名乗りを上げる前に、私は姉に話しました。すると、『色々なことが起きると思うが、頑張りなさい。途中でやめるようなことはしないで』と。初めて姉さんに、頑張って!とはっきり言われました。」
北さんの姉は、北さんの手術のことを知らされましたが、祖母に口止めをされていました。このことをずっと胸の中にしまっていた姉もまた、苦しみを抱えていました。
北さんの手術について、家族内では一度も話題になったことはありませんでしたが、北さんと姉は、今までの心の重荷について、初めて互いに分かち合うことができたわけです・・・。
※注意していただきたいことがあります。名前や顔を公表して裁判をされている方、公表されていない方それぞれのご事情があります。手術を受けたことを誰にも話していないという方もいます。また、生存しているご家族の多くは兄弟姉妹ですが、裁判については応援してくださる方と反対される方両方います。それぞれのご事情やお考え、思いがあることをご理解ください。
北さんが自分が受けた手術が「優生保護法という法律によるものだった・・・!」と知ったのは、飯塚さん、佐藤さんのニュースがきっかけでした。今まで、手術をさせたのは、お父さんや施設の職員だと恨み続けていましたが、法律があったこと、手術を受けさせるように国や県からの指導があったことを知り、「誤解していたのか・・・!」と思われたそうです。
ろう者のご夫婦
小林さんご夫婦は、結婚後、妻が妊娠しましたが、双方の親が相談した結果、「赤ちゃんが(亡くなって)くさっているから、ほかさなくていけない」と言われて妊娠中絶と強制不妊手術を受けさせられました。
小林さんの夫は、自分の母に「どうしてだ」とつかみかかりました。その時の返事は「だったら、私のことを殺しなさい・・・」。
ご夫婦が苦しいのはもちろんですが、親御さんも苦しかったのだろうと想像してしまいます。優生保護法という法律、国や学校からの指導などによって、親子や兄弟姉妹との関係、家族全体が壊れてしまいました。もしお子さんが生まれていたら60歳くらいになります。
他にも、結婚する条件として、夫が病院に連れていかれ説明もなく、突然ズボンを下ろされ、手術を受けさせられたという高尾さん(仮名)ご夫婦もいます。
手話通訳がいれば、手術についての説明を受け、嫌だ!という自分の気持ちを伝えられたかもしれない・・・。
小林さんご夫婦、高尾さんご夫婦は、地域で手話を一生懸命教えてきました。聴覚障害のある被害者は現在判明しているだけでも150人以上います。
ご本人、きょうだい、家族のさまざまな思い
また、”きょうだい”の方が弁護団のホットラインに相談の電話をくださるなど”きょうだい”の方につながる機会が予想以上に多く驚いています。涙ながらに語られる方が多いです。
(親御さんが亡くなっている方が多いということでもありますね・・・)
しかし、この問題は非常に複雑、センシティブな問題です。
裁判のニュースを観て、当事者の方はもちろん、親御さん、きょうだい(とお子さん、つまりはおい、めい)などのご家族の方もさまざまな思いを持たれていることを弁護団として忘れてはならないと思っています。
どのような思いも本当に大切な思いだと感じています。
先日、私も実家の家族と話す機会がありましたが、例外ではありません。
障害のある親御さんを持つ方からは、自分が生まれてこなかったら悲しいという声も生まれてきて苦しいという声もいただいています。
家族の立場の大切な思いは今後ご紹介していきたいと思います。
Sibkotoシブコト障害者のきょうだいのためのサイト
「きょうだい(Siblingシブリング)のコトをきょうだいのコトバで話そう」
裁判の目的のひとつは”誰にも言えない”をなくすこと
裁判の直接的な目的は謝罪と補償ですが、それはひとつの目標に過ぎません。
”生まれてきて良かったと思いたい”というひとつひとつの大切な声の中に優生思想のテーマや障害者問題の本質があるのを感じています。
垂れ幕・・・高松裁判に引き続きagain
もし自分が”きょうだい”の立場でなければ、このように横断幕を持って歩くような世界は全く関わるこのなかった世界ですが・・・。
誰にも言えずにずっとひとりで悩んできたことを共有できる語り合える相手がいること、”きょうだい”の私として生きられる場所と仕事と役割があることは、ちっぽけな夢かもしれませんが、私にとっては夢のようです。
優生思想は非常に難しく大き過ぎるテーマです。
「きょうだい」についての目標としていえば、次世代のきょうだいの立場の子どもたちが”悩む”原因自体をなくすのが理想ではありますが、その道のりの中で、せめて”誰にも言えない”とひとりで悩むのはもう終わりにしたいと思います。
ひとりで悩むエネルギーと時間はもっと自分のために使ってもらえるようになってほしいです。
(きょうだいにこだわること自体が小さいというご批判は甘んじて受けますが、最終的には障害に対する差別をなくす、障害のあるなしに関わらず誰もが生まれてきて良かったと思える社会を作るという大きな目標につながっていると思います。)
”誰にも言えない”というのは他のことでも多々あることですよね。
それがオープンに言える、みんなで一緒に解決方法を考えることができる世の中は、一面では面倒かもしれませんが、結局は誰にとっても生きやすく、建設的ではないでしょうか。
20年以上かかりましたが、ようやく・・・
勇気と機会をくださった原告、ご家族、支援者の方々に感謝して、教えていただきながら、一緒に頑張らせていただきたいです。
シブコト(障害者のきょうだいのためのウエブサイト)の投稿は、個人のかずことして書いているので、基本的には、弁護士としての内容はシブコトには書かずにnoteやブログなどに書いていきたいと思います。
(参考)シブコトのかずこの投稿
京都府の”きょうだい”の方(60代男性)からいただいた貴重なご体験
シブコトにも投稿してくださっています。
「きょうだいの私も若い頃から遺伝に不安を感じ、結婚を前向きに考えられないでいました。逆に結婚のことを重く考えすぎてしまい、自分から人生を狭くしてしまい、対人関係(特に異性との関係)を上手く築けない時期が長くありました。青春時代の大事な時期を、優生思想によって重く支配されていたと思うと、とても悔しいです。優生思想との対決は私自身の大きなテーマです。」(投稿からの引用)
「障害のある親御さん」と「生まれてきた子ども」
また、知的障害のきょうだいをもつ方からは大切なご質問をいただきましたので、私なりにご回答させていただきました。
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できるだけ多くの声を紹介していきたいと思いますので、ご体験やご意見はこちらにお願いします。
裁判についての詳しい情報をお知りになりたい方はこちらをご覧ください。
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「きょうだい」がいつか辞書などにも載るコトバになりますように!!