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その無理筋は人心を離反させてまで通したいものだろうか。

「無理筋とわかっていても、それを「正」として通さなければならない瞬間がある。本当にそうだろうか。

今日の深代さんの天声人語は、靖国法案の強行採決の話だった。
「その理屈は無理筋」なことが権力によって「正」とされた典型例といえるかもしれない。

最近は強行採決はお見掛けしなくなった気がするけれど、こういった類の話は、身近でもよくみかける。
たとえば、ワンマン社長の命令なんかもそれにあたるだろう。

無理筋とわかったうえで「それでもしなければならない」という信念があるなら仕方がない。

「あのときはああするよりほかなかった」と、後日周りが評価してくれれば万々歳だ。そうでなかったとしても、信念に基づいて行動したのなら、本人とそれに付いてきた周りは満足だろう。

でも、大した信念もないのに「無理筋」を強要し、圧政をしくのはいかがなものなのか。

無理筋を通した結果まねくのは、人心の離反・失望。優秀な人材の流出だろう。それが望みでやるというなら止めないが…。

無理筋というのに気づきもせずに実行に移すのもどうかと思う。無理筋と気が付けないのは、本人が無邪気だからか、それとも周りに止めてくれる人がいないのか。

どれにしても無理筋を通すなら、自分の信念と覚悟を問うてからという話になるだろう。一度失ってしまった人心はもう戻ってこない。「だってこれが正しいと思ったんだもん」レベルの軽さでやるには、リスクが大きすぎる。

読んだコラム

「長い列」

思ったことを箇条書きに

非常時は17文字の俳句さえ自由に作らせなかったとある。
これはお国の非常時。会社の非常時ではどうか。いつぞや流行したティール組織では自由闊達な会話が求められそうなシーンだ。

強行採決は幼いころのテレビでよく見かけた気がする。
これを会社に置き換えると、社長のワンマンとか上の意思がわからない命令になるのかしら?

「なぜ。そんな強硬策をとらなければならないのか」がわからないと、民心は離れるものなんじゃないかな。

靖国神社は宗教にあらず。当の靖国神社はなんて言ったんだろうか。

無理な解釈を強要したとて、いつかはほころびが出るものじゃないかな。

自分の主張を決定

人心を離反させてまで通したい無理筋なんてあるんだろうか。

材料を書き出す

靖国法案の強行採決の話だった。
「その理屈は無理筋」なことが権力によって「正」とされるのはよくあること。

「馬鹿」の語源になった話もそう。身近な例ならワンマン社長の命令なんかもそれにあたるだろう。

無理筋とわかったうえで「それでもしなければならない」という信念があるなら仕方がない。

「あのときはああするよりほかなかった」と、後日周りが評価するんだろう。

でも、大した信念もないのに「無理筋」を強要し、圧政をしくのはいかがなものなのか。

無理筋を通した結果まねくのは、人心の離反・失望。優秀な人材の流出だろう。それが望みでやるというなら止めないが…。

無理筋というのに気づきもせずに実行に移すこともあるかもしれない。無理筋と気が付けないのは、本人が無邪気だからか、それとも周りに止めてくれる人がいないのか。

どれにしても無理筋を通すなら、それなりの覚悟をもってということになるだろう。いっときの利益のためだけに通すには、失うものが大きすぎる気がする。


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  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。

アイキャッチ画像は、wrtn を使って生成しています。


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