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あの日のイタリア戦を僕は絶対に忘れない


#サッカーの忘れられないシーン

wowowさんの企画で「サッカーの忘れられないシーン」を募集しているとのことで、せっかくなので思い出深い1戦について昔書いたブログを編集して公開しようと思います。

試合は2013年コンフェデ杯での日本vsイタリア。監督はアルベルト・ザッケローニ、僕にとって日本代表史上最高の1戦と言ってもいい試合です。

イタリア戦を振り返る「僕らはなんのためにフットボールを見るのか」


この試合を見て「惜敗も負けは負け。意味などない」と言う人と僕は根本的にフットボールを見る理由が違うんだろうと思う。

確かにただの一勝が歴史を変えることもあります。ジョホールバルや南アフリカでのカメルーン戦、デンマーク戦がそうでしょう。

だがしかし、そもそも僕は「勝利とは美しきフットボールをするための通過点」としか思っていません。勝利のもたらす「自信」や「一体感」は、より美しいフットボールを追求するうえで確かに必要なものですが、あくまで最終目標が勝利ではありません。


なぜって?フットボールはエンターテイメントだからですよ。
フットボールを「戦争だ」とか言う人には、内戦に塗れた旧ユーゴを生きた元クロアチア代表ボバンの言葉「フットボールを戦争だとか言う奴らは本当の戦争を知らないだけだ」を贈りますから、せいぜい眉間にしわ寄せてつまらなそうに試合を見てればいい。

今回、前戦でブラジル相手に「らしさ」を全く出せずに惨敗し、それを精神的に立ち直らせ、きちんと日本らしさを復権させるのは決して簡単ではなかったはずです。

それを可能にしたのは、ブラジル戦後にザックが長谷部に1vs1で伝えた言葉「世界のトップ相手にもできるのに『なぜ、やらないのか』」

ザックを、交代策の部分だけやり玉に挙げて無能とか言う人は、フットボールにおける精神の重要さと、それを鼓舞できる監督(及びキャプテン)の力量について軽んじすぎてますよ。

チームがチームとして成立する時に最も必要なのは信頼感だと思います。
正直、ブラジル戦での惨敗で、僕たちサポーターのチームへの信頼感は薄れていました。僕らが感じていた「日本は強くなった」という感覚は錯覚だったのか、と。

ですが、チームは全くそんなこと思っていなかった。自分たちがここにいる意味を証明するために戦うことを決めたんです。彼らは自分たちの信じてきた道の正しさを証明するために懸命に戦ったんです。

僕は
心を揺さぶられたくて
心から喜びたくて
心から悲しみたくて
フットボールを見ています。

だから、試合の前から「期待すると負けた時ガッカリするから期待しない」とか言うのは大嫌いです。何のためにフットボールを見てるのかと思います。
ですが、正直今回は少しそういう風に思っていたのかもしれません。そんな僕に対し、ザックJapanは「やる前から負けること考えるやつがいるかよ!」と、猪木さんばりにビンタをかましてきたということなんです。

何度でも言います。
僕が愛するのは「絶対的な勝者」などではなく、「美しき敗者」だ、と。
センチだと言いたいなら言えばいい。
誰が何と言おうと僕は、理想や想いが動かした感情的な一歩こそが、機能的で効率的な一本のパスを、感動の面で凌駕すると言い続けます。

僕は、ハートの奥を刺激してくれる瞬間を追い求めて、思い切り喜び、思い切り悔しがれる瞬間を求めて、フットボールを見るのです。見続けるのです。

僕の、イタリア戦での、涙が溢れ出しそうな興奮を誰にも邪魔することはできない。


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