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若さをドブに捨てている気がする

18.19.20.21.22.23…と歳をとる。若さがすり減っていく。アクティブな同年代を見ていると、まだ若いはずの自分の心が18歳ではないことに気付かされてしまうことがある。
僕は若さをドブに捨てている
と思う。


そもそも若さとはなんだろうか。肌にシワもシミもないことだって若さだ。陽が出るまで友人たちとカラオケで飲みまくることも若さ。若者らしい少し派手目な、おしゃれな服を着られるのも若さだろう。
しかし僕が思う若さとは、行動力で漲っていることだ。
正確に言えば、広い意味で行動力で漲っている人を若い人だと感じる。

少し先日の出来事について話をしたい。

先日、中学時代の同級生と久しぶりにご飯に行った。彼とは長い付き合いで、受験期も共に勉強し合っていたほどだった。彼の中高時代はいわゆるイモの部類に近かった。服装も常にジャージだし、髪型にだってそこまで気を遣っていない。自分も同じイモだったのでそんな彼と一緒にいて居心地が良かった。
しかし、久しぶりに会った彼は別人だった。
髪も染め、パーマをかけ、頭から足下まで洒落ている。もう彼は1000円カットにも行かないだろうし、あのkappaのジャージも着ない。地元の図書館で青チャートにがっついていた彼はもういない。
「俺今全然服とかに使っちゃって全然お金なくてさ、2万しか残ってないや。」
彼はこうにこやかに話した。
対して僕はどうだろう。
夏休みと秋学期でせっせこと働いて、お金は確かに貯まった。しかし金は貯まっているが、僕には経験という財産がなかった。心が貧しいのだ。美味い飯も、おしゃれな服も、お金が勿体無いの一言で一蹴し続け、心が貧乏になってしまっているのだ。今2万円しか貯金がなくても、彼はその何倍もの価値のある、若さを満喫するという経験をしている。若さをドブに捨ててなんかいない。


しかし女性が送り出す成熟した卵子の数は限られています。
生涯を通しても約四百個に過ぎません
私たち女性は、純粋に生理学的見地から言えば、限定された数の卵子を護ることを主題として生きているのです
村上春樹 1Q84より抜粋

これは今僕が読んでいる村上春樹の1Q84という小説で印象的だった部分だ。
若さも当然のことながら有限である。その有限である若さを、金がもったいないだの、面倒臭いだの言って無駄にしている場合じゃない。限定された若さを、限定されていない金を理由に放棄すべきではない。

行動力=若さなのだ。
決して守りに入ってはいけない。思い立ったが吉だ。
欲しい服があったら似合わないだとか高いだとか、うじうじ言ってないで買え。
いい男になりたかったら、今すぐジム代を払って筋トレを始めろ。
気になる人がいるなら、今すぐ連絡して約束を取り付けろ。
美味いものが食べたくなったら、今すぐにでも食べにいけ。


若さをドブに捨てるな。





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