うみが吠えた。
うみが吠えた。
飼い主にも止められないくらいに。
父親になる前、彼は犬が大好きで初対面だろうと顔見知りだろうと自ら近寄って行って、全身をつかってスキンシップをしていた。人間より能力のすぐれたそれをヒクヒクさせて、私の視界を超えた犬の存在を感知して駆け寄っていく。
海の日生まれの男の子。トイプードルの名前はうみ。いとこの家で子犬が産まれたからと我が家に7年前にやってきた。
実家にいたころはしょっちゅう一緒に散歩に行って、人間が先に疲れるくらいの速さで走る彼にへとへとにさせられて、そうやって心地よく眠りにつくことができていた。
近年はゆっくりと実家に帰ることなんてしばらくなくって、つい先日、社会に巻き起こるコロナ渦に流されて帰ってきたから久しぶりに散歩に行った。
新緑たちが太陽の光できらめきを放ち遠目に陽炎がゆらゆらとゆれる、夏がわたしたちの島国にせまってくるのを感じる日。そんな日のおやつ時に私は彼と散歩にいった。
うみは、相も変わらず光のスピードで他の犬を感知する。笑えるくらいに。犬の嗅覚は人間の100万倍なんていうけれど、それは本当なのだと思わせるほどに、あまりにも遠い距離にいる犬たちを見つける。
彼と散歩をするのなんて4年ぶりぐらいだろうが何も変わっていない。ドッグランに行くとボールを取るのが速すぎて他の犬に嫌われるくらいの足のはやさと、どんなものにも一旦は鼻を近づける好奇心旺盛さ。
見た目にしても以前と変わらないことは同じ。小型犬用の服が入らない筋肉のありすぎる太ももと、どうみても犬よりはアルパカに近い細長い顔。
時日は流れたけれど、何も変わらない。
だけど、ひとつ以前とちがっていた。ただひとつ。
うみが、吠えるのだ。
あんなにもイヌが好きで嫌がられても懲りずに近寄っていくお調子者だったうみが、近寄ってきた他犬に吠えるのだ。盛大に。そして私が怒ってもやめないのである。だから無理やりひっぱってまだ鼻息の荒いうみを、犬のいなそうな道へ連れてって散歩した。
よく散歩に行っていたあの頃からの、空白の4年間。
うみに何があったのかを考えると大きすぎる変化があった。父になったのだ。アプリコットの父と母から産まれたとは思えない、真っ白な毛並みをもった女の子。そして3年前から、娘と2匹で実家に住んでいる。
うみが散歩時に吠えるようになったのは、娘を守ろうとしているからなのだろうか。娘に危害を加えられないよう、吠えることで精一杯親としての愛情を示そうとしているのだろうか。あんなにも好きだった、他犬とのスキンシップを犠牲にして。
きっとそうなのだろう。それしか考えられない。
親になるとはそういうことなのか。まだ親になったことはないがそんなことをふと思った。親なりの愛情を、愛しているという事実を、うまく表現できなくともつねに愛ゆえの行動を選択している。自分を犠牲にしてまでに。
ときに、子供がやりたいことに反対したり怒鳴りつけたりする親に、嫌気がさすことがあった。なぜそんなことするの?と、悲しくて仕方ないことがあった。だけどそれは、うみと同じように子供を守ろうとしている親なりのやり方だったのではないか。
いつかそれを身をもってわかるときがくるのか、あるいはもうすでに分かっていて感じないふりをしてきたのか。
根底には愛がある。
そんなことを愛犬うみが教えてくれた、5月のある昼下がりのおはなし。
koyuri
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