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保育者をやめたくなる理由


〜2021.2.10追記〜

この記事は幼い時からずっと幼稚園教諭を夢見ていた私が1年で退職した理由を綴っています。

「もう限界。辞めたい。今すぐ辞めたい。でも年度の終わりまでは頑張らなきゃ」

そう思っていた当時の心境を赤裸々に記しているため苦しさを分けてしまうかもしれません。

現場で起きていることを多くの方に知っていただき、自分の身の回りでは何ができるのか少しでも考えてみて欲しい思いから、打ち込みました。読みにくい文章ですが、目を通していただけると幸いです。


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「幼稚園の先生になりたい」

私は幼い頃からこの夢を描いていた。


初めは自分でも具体的な理由など分からなかったが、年々保育者になりたい思いが現実的になり、

利子付きの奨学金を借りて4年間大学に通った。



「保育なのに4大なんだね」そんな言葉を掛けられることも多くあったが、短大が主流だった時代とは変わり、今は多くの大学が4年制に移行しつつある。



理由としては、保育園と幼稚園が1つになった”認定こども園”という存在が世に出たことが大きい。



4年制の大学を卒業すると、保育士資格と幼稚園教諭1種免許が取得可能で、この2つを取得している保育者はほとんどどの保育施設でも働ける。




そんなところだ。




話は戻るが、私がいざ就職活動に差し掛かったとき、SNSでこんな投稿を目にした。


「保育士なんて奨学金をもらってまでなるもんじゃない」


この言葉にはかなりショックを受けた。

収入は他の職業よりかなり低いことはわかっていた。


しかし、4年間知識や感覚を積む中で、保育という仕事は日本の未来を担う子どもたちを育てる大切な仕事だと感じていた。



それなのに、世間の評価はこれか。

しばらく考え込み、しばらく落ち込んだ。

だんだん自信もなくなり、私は道を間違えたんだ。

そう思った。   


しかしそんな中でも、


「やってみないと分からないし、1度はやってみたい」という思いが残り


保育の現場で働くことを決め、首席で大学を卒業した。



しかしその1年後、私は勤め先の幼稚園を退職することとなる。


たった1年でだ。


これまで、どんなことも諦めずに全力で取り組んでいた私が


たった1年で退職。


どこへも持ち出せない苦しさと悔しさが込み上げた。


しかし、限界だった。


毎日書類を持ち帰る。

やってもやっても終わらない。


土日に出勤しても代休がないどころか、手当などまず出ない。  


深夜1時まで開いているファミレスの奥の席で、先輩と同僚と仕事する。


時間外労働は月80時間を超えていただろうか。


それでも残業代は毎月7000円であった。


はっきり言って、やっていられなかった。


なぜこんなにも世の中に必要な仕事の給与が安いのか。


なぜ自分を犠牲にしてまで働かなければいけないのか。


そんなことばかりが頭を占領し、毎日怒りの感情でいっぱいになった。


最寄駅のコンビニで売っている「ストレス軽減」を謳うチョコレートを毎朝買い、

園まで徒歩20分の距離で全て食べ尽くしていた。



友達ともなかなか会えず、遊びには誘われなくなった。


食事をとることすらことも億劫になり


夕飯をコーヒーで済ませていた時期もあった。


体重は驚くほど落ち、

大好きだった花ですら、興味がなくなった。

美しいものを、美しいと思えなくなった。

好きなものも、好きなこともわからなくなった。


気づけば笑えなくなっていた。


甘いと言われればそうなのかもしれない。



だが、


保育者はその園に通う子どもたちにとって大切な”環境”である。


その環境が、花の美しさを感じられない。


花や木の実、葉の美しさを伝えなければならないはずの保育者自身が、そう思えなくなっていた。


笑顔でいるべき保育者が、笑顔でいられなくなっていた。



「これはまずい」 


そう思い、転職を考え始めた。


この時は、

「もう保育者なんてやめてやる」

「こんな仕事二度とやらない」

「目指した私がバカだった」

そんな思いが強かった。


子どものためと思い時間を費やしても、自分の時間は全く取れず、もちろん給与にも変化がない。


”保育”という仕事への評価の低さに失望し、


自分がしている仕事に全く誇りを持てなかった。


しかし、いざ退職をしようと思っても


日々忙しさに追われる状態で転職活動をする時間があるわけもなく、


次年度は1年間、公立保育園の非常勤職員として働くことにした。



園長とは3度ほど面談をしただろうか。

前向きな理由を並べ、やっとのことで退職を受け入れてもらった。



退職し、4月。正直気持ちは晴れていなかったが、新たなスタート。


この生活が始まると、かなり時間に余裕ができた。

しっかりと食べるごはん、

ゆったりと過ごす平日の夜、

ぐっすり眠れる休日。

日々を丁寧に過ごし、生活を整えることの喜びを感じた。

半年後には、花屋の花にも心が踊った。


少しずつ私らしさを取り戻していったように思う。



だが、自身のキャリアへの不安は募っていた。 


体力的には楽に働ける場所をみつけたものの、依然「もう保育は辞めたい」と感じていた私は、一般企業への異業種転職を考えていた。



園内を走り回りながら頭をフル回転させることもなく、定時に上がれて持ち帰りなしだなんて天国に思えていた。 


しかし、求人を眺めながら思うことは、


「このまま保育業界を捨ててもいいのだろうか」

という疑問だった。

自分にとって、ももちろんだが

変えていかねばならない部分も多いと感じる日本の乳幼児教育、幼稚園教諭や保育士の働き方をこのままにしておいて良いのか

と自分に問いかけた。


待機児童を解消するために新園が次々と開園する姿に危機感を感じていたのだろう。


もともとは子ども主体の保育がどれだけ必要なものか理解し、共感して就職したわけで

保育が嫌いなわけではない。


時間と心に余裕ができたことで、多くの本を読み

自己分析を重ねる中で確信した。


大した経験もない保育者だが、

「保育業界や未来あるこどもたちの育ちを私1人の力も加えて支えたい」


そう強く感じた。




私のように、保育の仕事に誇りをもてない保育者は多いのではないだろうか。



世間の人々が

保育者がしている仕事と、その大切さに興味さえ持ってくれたら、


それを理解してもらうまでは容易だろう。


社会に認められているという感覚と、自分がみている子どもたちの育ちに喜びを感じられたら、こんなにも保育者が不足することはないはずだ。




初めに勤めた幼稚園は、保育のど真んに子どもを置いている、本当に素敵な園であった。


人間らしい生活さえ送れれば、もっと長く、いや、ずっとずっと勤めたかった。 


保育現場の働き方は少しずつ改善されているが、まだまだ世の中の平均に達していない。




保育者の心と身体、そして経済的な余裕は子どもの幸せにつながる。


これからさらに良い方向に向かっていくことを願いながら


私にもできることを日々探求したい。



子どもと共に成長し、毎日笑顔で

自分の仕事に誇りをもつ保育者でありたい。




また正規職員として、働くことにする。

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