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「うどんの味わいはステレオ」の話。

2週間くらい前の話だが、友達の引っ越しを手伝った。
といっても、家から家へ荷物を運ぶために車を運転するだけ。他の作業はすべて引っ越しをする本人がやっていた。
「短期バイトでこういうことやってたからこっちはいいよ、運転は頼んだ」的なことを言っていたように思う。

どうやら昼食付のお手伝いだったらしく、運搬作業が終わってから食べたいものを聞かれた。
しかし、普段は「○○食べたい」とさまざまな食品の名前を口にしているわたしでも、食べたいものを聞かれるとなかなか答えられない。○○に入る食べ物が「とろとろのチーズ」とか「辛いもの」とか、抽象的であることが原因だろう。
あまりにも浮かんでこなかったので逆質問したところ、うどんが食べたいという話だった。食べたいものが依然として浮かばないわたしは二つ返事で了承した。
友達が選んだのは、美味しいという話をよく聞くセルフうどんのお店。
入り口入ってすぐの場所でうどんのどんぶりを受け取り、隣にある湯煎機にセットされた湯切りざるの中へ麺を入れる。麺を温める。二人揃って静かに麺を温めるようすは、周りから見るとシュールだったと思う。
麺の湯を切りどんぶりに戻すと、次はそれぞれに食べたい天ぷらをお皿に取っていく。「今日は昼ごはんのお金俺が出すよ」の言葉に甘えて、普段は食べないえびの天ぷらを選んでみる。
わたしが少しだけ贅沢をした気分になっているうちに会計を終わらせていたらしい。また移動して出汁を注ぐ。セルフうどんの楽しみの一つである。

なんだか久しぶりにかけうどんを食べた気がした。「おいしい」と声が漏れる。
すりガラスのようなアクリル板の向こう側はよくわからないが、きっと彼も同じことを思っていたのだろう。黙々と麺をすすり、出汁まで飲み干す。出汁やスープを全部飲むのはなかなか勧められない行為のように思うが、うどんなら許される気がするのはなぜなのか気になった。

食事を終え車に乗り、エンジンをかけるわたしに彼が言う。

「これなかなかわかってもらえんけど、うどんの味わいってステレオだと思うねん」

うどんの味わいが――ステレオ?
ステレオといえば、左右2つのスピーカーから音が出る、あれ。彼の言葉をもう少し詳しく説明してもらうことにした。
なんでも、うどんのあたたかさは両方の耳下腺を通り、脇腹を通って胃に収まるらしい。その感覚が、ステレオに似ている、と。
わからなくもなかった。それを的確な言葉で表現できるだけの語彙を持ち合わせていなかった、というだけ。きっとわたし以外にもそういう人はいる。
その友達の感性は鋭いなと前から思っていたけれど、うどんにもその鋭さを見せるとは想像もしていなかった。

こんなことを書いていたら、深夜であるにもかかわらずうどんが食べたくなってきた。できれば、セルフうどんがいい。

喉元過ぎればなんとやら、食べ物はモノラルに身体の中に入っていくようになっているはずだ。しかしうどんは、うどんのあたたかさは、そうではないらしい。
きっとこれから先、うどんを食べるたびに思い出す。
うどんの味わいは、ステレオなのだ。

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