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【Episode 3.5】日常に光を

日常に光を

 日常が戻るって、どういうことなんだろう。
 私の住むまちから遠くない場所が一夜にして変わり果てたあの日から、ずっと考えていた。

 2018年7月。
 今もそのときのことを無心には聞けないという人が多くいるだろう。私もその一人だ。あの日は確か、期末考査の最終日だったっけ。数学の問題を適当に解き、解答欄を埋め終わった解答用紙を枕に少し眠ろう。そう思って机に伏せ、窓の外に目をやった。朝から降り続く雨はまだ止まないのだろうか。そんなことを考えながら目を伏せた。
 その日の夜、私は家に一人だった。まだ降りやまない雨の音に恐怖を覚えた。その思いを煽るようにエリアメールの音が鳴り響く。「うるさいな!」と、一人の部屋にそう叫んだ。それも覚えている。
 恐怖なんて寝れば感じない。そうだ、きっとそうだ。だから今日は早く寝るんだ。そう思いつき、いつもよりも1時間ほど早く布団に身を投げた。
 次の日、世界は変わっていた。
 ネットニュースには、濁った水と昨日まで人が生きるまちだった場所の写真が掲載されていた。信じられない、とカーテンを開けた私の脳に飛び込んできた景色は、まるで私を嘲笑うかのように、何もなかったかのように、平穏で、冷静だった。
 その次の日には、山の上から見る青空に、形容しがたい、怒りに似た感情を覚えた。

 それから1週間ほど、ニュースも、会話も、思考も、あの災害のことばかりを取り上げた。しかし、時間が経つとともに、話題に上がることも少なくなり、報道でもだんだんと取り上げられることは少なくなった。
 今となっては「風化させないために」なんて言葉をよく聞く。
 悲しいかな、人間は忘れる生き物なのだ。それが自分から遠い場所にある出来事なら、なおさら。
 あれから2年が経ち、真備町は少しずつ「復興」しているのだろうと感じる。土手を走れば家には電気が灯っていて、お店も十分に機能している。
 この場所に住む人たちの日常が戻ってきている。そのような言葉を耳にしたような記憶もあるが――日常って、そもそもなんだ。私達から見た日常は、本当にかれらにとっても日常なのか。
 今も、もといた場所に戻れない、あるいは戻らない人もいるとエリアニュースで報道されているのを見た。そのような人たちの、2年前の日常は今も帰って来ていない。あるいは、もう帰ってこない。そして、帰ってくるべき人を失ったその場所は、そこに確かに存在しながら、日々の営みを止めてしまう。
 もしも私がそんな立場に立たされたら、かれらのようにいられるのだろうか?
 何も失わなかった私がいくら考えても、答えは出てこなかった。

 真備町に住んでいた人が寄稿してくれたの、と部活動の顧問が私に見せてきたのは、文字が表裏にびっしりと詰まった1枚のルーズリーフだった。そのとき顧問が私に告げた言葉を、私は今も大事に持っている。
「当事者は出来事を客観視できないの。自分のことだから。それを客観視して伝えることが、今、あなたたちにできること。」
 そうして私が導入部分を書き上げた真備町での災害に関する記事を、製本されて届いた部誌で読み返す。
 何度読んでもこの息苦しさには慣れない。

 時間は流れ、2020年12月、真備町で花火を上げると聞いた。1年前の夏にも花火の打ち上げがあったが、今年は冬らしい。あの濁流に飲み込まれた場所で、私は一人、一眼レフを持っていた。三脚忘れちゃったなあ、と自分の忘れ物癖を憎く思いながら地面にカメラを置いた。
 2020年は誰もが日常を奪われた年になった。少し前まで想像もできなかった、日常を奪われてもなお続く日常。その中に投げ込まれ、私が感じたことは2年前に誰かが感じたことだったのだろうか。
 そんなことを考えながら、打ちあがる花火をファインダーに収め、シャッターを切った。
 近くでは子どもたちが花火を見てはしゃぐ声がする。その子どもたちの父親と思しき人物がラジオを持っているらしく、花火が打ち上がるタイミングに合わせて、ラジオからは音楽が流れている。FMくらしきの放送だよ、という話し声が聞こえた。

 打ち上がる花火をファインダー越しに見つめる。
 ファインダーの中が徐々にぼやけて見えなくなる。
 カメラからそっと目を離し、今度は肉眼で花火を見つめる。
 辺りを照らした花火が、元気出して、と私に語りかけているようだった。

写真について

 2020年12月13日に真備町で上がった花火です。
 前日に少しだけ夜ふかしした次の日、高梁川志塾の講義3コマを終え、疲れを感じた頭で真備町まで車を走らせました。カメラを持って行ったはいいものの、三脚を忘れてしまい、少しブレたりはしています。ですがとても気に入っている写真です。

作品について

 一部、脚色をした部分もありますが、ほとんどわたしの実体験です。
 雨が降り続いたあの日は期末考査の最終日でした。普段は学校内でスマホを使ってはいけないにもかかわらず、その日だけは、厳しい担任が「申告すれば連絡をするためにスマホを使ってもいい」と言っていたことを覚えています。エリアメールに一人で「うるさーい!!」と叫んだことも、災害について考えていたことも、部誌のことも、写真を撮りに行ったことも、実際にわたしの身の回りに起こったことです。
 泣いてしまってファインダーの中がぼやけることはなかったけど。

 さらに言うと、真備町は”地元”ではないので、この作品を「地元を舞台に小説書いてみた。」の一つとして載せるのには少し迷いもありました。でも、せっかく書いたし、どこにも出さないままはもったいない……と思ったので、【Episode 3.5】として載せることにしました。
 この先も、地元ではないけど高梁川流域を舞台に書いた、という作品はこんな感じで載せていこうと思います。


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