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【Episode 4】憂鬱とレモンサワー

憂鬱とレモンサワー

 不思議と、寂しさはなかった。
 恋人に別れを告げるときって、寂しさを感じるものだと思っていた。名残惜しいね、と二人で泣いたりするものだと思っていた。もっと虚無感に襲われるものだと思っていた。
 実際の別れはどうだっただろうか。二人とも泣いてなかった。私は寂しさを感じてもいない。充実感を覚えていると言えば嘘になるが、虚無感には襲われていない。
 人生で何度目かの失恋は、思っていたよりも呆気なかった。
「もうだめだと思う。だから、今日でおしまい」
 私のそんな言葉で、恋人を手放してしまった。恋人は、何も言わなかった。その言葉に、ただ、頷くだけだった。私のことを引き止めようとはしなかった。
 やっぱり有島にとって私はその程度の存在だったのかもしれない。
彼女にとって私は恋人ではなく、なんとなく友達よりも親しくて、距離が近い人――いわゆる親友のような存在だったんじゃないか。だから、別れを別れとして認識していなかったんじゃないか、と思うようにしていた。
 有島の恋愛対象が「私」でないことくらい、最初からわかっていた。
 それでも彼女は私のことを恋人として受け入れてくれた。
 恋人らしい恋人になれなかったのは私だった。
 だから、有島という大切な恋人を手放してしまった理由は私にある。

 恋人と別れてから1日が経った。
 いまだに寂しさは感じていないし、きちんと睡眠はとったにもかかわらず、どこか塞ぎこんだ気分のままだった。
 気分が上がらない日は、決まってドライブをすることにしている。今日も、少しでも気分を上向きにしようと、車に乗り込んだ。有島が好きだと言ってくれた芳香剤が、いつもと変わらず鼻をくすぐる。エンジンをかけると、好きなバンドの曲が流れだした。
 乗せる人を失った助手席がなんだか寂しそうに見えたから、いつも後部座席に置いていた荷物を置いてあげた。これで寂しそうな助手席も少しは落ち着くだろう。
 こんなときに私が行く場所は決まっている。景色がいい場所を求めて、車を走らせ始めた。が、なんだか喉が渇いている。飲み物は持っていない。目的地にたどり着くまでにコンビニはあるが、ここからは少し距離がある。早めにこの喉の渇きを解消したい。
 どこか、自販機なかったっけ。
 そのとき、私の頭に自販機の影がよぎった。栄駅には自販機があったはずだ。一刻も早く水分補給したいし、飲み物のために栄駅まで行くことにした。
 栄駅は、車で行けば5分もかからない場所にある。コンビニよりもコンビニエンスな場所だ。ロータリーに車を停め、少しだけ歩く。自販機で水を買う。
 車まで戻ろうとした、そのときだった。見慣れた、いや、見慣れ過ぎた姿が目に入る。顔を見なくともわかる。有島がいた。
 昨日の今日で、私の家の最寄り駅にいるとは思っていなかった。スマホでカレンダーを確認する。今日は月曜日。彼女はきっと、13時からのバイトに合わせて家を出て、臨鉄を使ってここまで来たんだろう。寒さに弱い有島のことだから、きっと自転車に乗りたくなかったんだろうな。
 2年半一緒にいた恋人のことなら、どうやらなんとなくわかるらしい。
 とにかく、気づいてしまったのに声をかけないのはなんだか気持ちが悪いと思ってしまった。小さく息を吸い込み、昨日までと同じようなテンションで声を出した。
「え、なにしてるの?」
 自然な感じで声をかけられた、はず。
「13時からバイト。今日は移動に電車を使ったの」
 私の読みはばっちり当たっていた。でも、元恋人にそんな予測をされていたら気味が悪いと思うだろう。私だったらぞっとしてしまう。
 当たり障りないことを言うしかなかった。
「そっか。頑張ってね」
 それじゃ、と呟いて、有島の存在を視界から消した。
 一瞬、振り返ろうかな、とか思った。でも、彼女はきっと振り返る。だから私は振り返っちゃいけない。目を合わせたらいけない。そんな気がしている。
 ゆっくりと歩いて、車に戻った。
 まさか有島に会うなんて思っていなかった。動揺を隠しきれていない自分に少し苛立ちさえ覚える。別れようと言ったのは私だった。それなのに動揺してしまっている。今日は少しおかしいんだ、きっとそうだ。
一回、二回。息を吸って、吐いて、心を落ち着かせてみようとする。さっきよりも心が凪いだのを感じながら、車を発進させた。
 車の中には、有島が好きなバンドの曲が流れている。音楽もラジオも流れていない私の車に、ある日有島がCDを持ってきたのだ。
「静かな車よりも、音楽があった方がよくない?」
 その言葉とともに渡されたアルバムのCDを入れたまま、今日まで同じ音楽を聴いている。すっかり耳に馴染んだその音を聴きながら、アクセルを踏み込んだ。

 約15分。目的地到着。
鷲羽山スカイラインは運転するのが楽しい、と教えてくれたのは教習所の指導員だった。確かに楽しい。俯き加減の気分がほんの少し上向きになった気がする。
 水島展望台から見下ろす水島のまちは、普段自分が見ているよりも大きい。自分の家からは見えないが、想像よりも近くに海があるのだとわかる。鳥の目を持ったような感覚で、私と、有島と、その他大勢が住むまちを見下ろしていた。
 ふと目をやると、柵の柱の上に缶が置いてある。視力が悪い私は、近づかないと何の缶なのかわからない。缶の方へ歩いて行くと、「レモンサワー」の文字が見えてきた。
 レモンサワー、か。有島が絶対に飲まなかったお酒だ。私が飲んでいたレモンサワーを一度だけ口にして、苦い顔をした後、二度と手を伸ばさなかった。
  そこまで考えて、ふと気づく。
 今までは、こんなことを思い出すような私ではなかった。
 今は今、過去は過去、と割り切って物事を考えられるはずの私が、有島のことを思い出してしまうのはなぜ。彼女の顔が頭を過っては、泣きたくなるような気がするのはなぜ。
きっと、有島の知る私はそうではない。それに、有島だってサバサバした私しか知らないし、そんな私を望んでいた。私たちはさっぱりした関係性だった。彼女は今日も、いつもと変わらない調子でバイトをこなしているに違いない。きっとそうだ。彼女にとっての私はそのような存在だったはずだ。
 有島に告白したのは私からだった。心底惚れていたらしい彼氏に振られて落ち込みきっていた彼女の話を聞き、そうか、寂しいよな、悲しいよな、でも先に進まなきゃだからね、と言い続けたのは他でもない私だった。私だったら有島にこんな思いはさせないのに、と思ったときには腕の中で震えながら泣いていた彼女のことを鮮明に覚えている。
 何が「こんな思いはさせない」だ。
 私は自分から彼女のことを手放した。
 明確な理由も説明せずに。
 自分では理由をわかっている。でもそれは有島にぶつけても仕方のないことだともわかっている。
 そもそも恋愛対象が違う私と有島が恋人になるということの方が、無理があった。私が有島を守っていたのではない。有島が私に寄り添ってくれていたのだ。そんなことには気づいていた。
 彼女のためではない。私のためだった。有島が私を必要としていたのではない。私が有島を必要としていた。

 ねえ、有島。
 私は君のことが本当に好きだった。
 恋人として。
 一人の人として。

 私は君のような人間になりたかった。

 気づけば空は泣き始めていた。いつまで経っても泣けない私の代わりだろうか。
 さすがに濡れるわけにはいかないからと車へ戻る。
 その前に、一度だけ振り返る。
 私と有島が一緒にいたこの街は、今日も何も変わっていなかった。
 ただ、人が、街が、生き続けていた。
 また目に入ったレモンサワーの空き缶が、私の心臓を掴んだような気がした。
 少しだけ熱くなった目を強く擦って、街並みに背を向ける。
 視界が滲むのはきっと気のせいだ。

 まだ捨てきれない思い出と消せない写真を抱えて、私は車のエンジンをかけた。

写真について

 2枚の写真はどちらも水島スカイライン水島展望台から撮った写真です。場所もほとんど同じで、色合いだけを変えています。
 モノクロとカラー。この2枚にどんな意味を持たせたかは、各々の解釈におまかせします。

作品について

 実に5か月ぶりの投稿となってしまいました。
 構想はずっとあったのですが、なかなか書き進めることができていなかったんです。大学は学年が上がると楽になるよって聞いたことあったのに、2回生になってからの方が授業忙しいやん!という予想外の出来事が起きていたりもしました。
 今なら書けそうかも……!となったタイミングで、物書きやめようかなと思うほどの出来事があったりもしたので、なかなか進まず。
 ……といろいろ言いましたが、結局書き進めれてなかったというのが一番の理由ですすみません。月1投稿目標だったんじゃないんかい。
 過去に公開したものも読んでくださったかたならきっと察していると思うのですが、この作品は【Episode 3】ひとりさみしいときは のスピンオフ的作品です。(アナザーストーリーと言った方がいいのか?)
 有島と瑞葵の物語の続きというか、裏側というか。どうしても書きたかった。
 時間はかかりましたが、どうにか書き上げました。

 これが、志塾卒業してから初めて書き上げたものになります。
 ここまでに公開したものは全部、修了式までに書き上げたものだったので。
 大きなインスピレーションをもらっていた存在がない状態で書くのは難しかった。「モデルになるもの」や「経験」がないから。自分の頭の中にあるものと、自分の生活の中からほんの少しをもらって、頭をひねって書いた、という感じです。本当にひねった。
 前述の通り、一度本気で物書きをやめようかと思った出来事があったのですが、この作品を書きあげて思ったこと。
 わたしは物書きをやめられない。
 というか、逃げられないんだと思います。何かを書くことで自分のことを表現するということから。
 高校生のころに出演したライブイベントの最後に、とあるライブハウスの方が言っていたことを身に染みて感じています。

 音楽、それ以外の芸術でも、何かの表現をするということは一種の罪のようなもの。
 一度でもそこに手を出した自分たちは、その罪を背負って生きていくということになる。
 だからみんな、表現に手を出した罪を背負って生きていきましょう!

 ほらね、逃げられないんです。
 罪、という表現が正しいのかはわかりません。でも最適だと思います。

 話が逸れた。
 月1投稿とまではいかなくても、不定期でも、必ずや続けていきますので、この先も見ていただけると嬉しいです。
 

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