デザイン思考の次は「アート思考」と言われるいくつかの理由
これからは「アート思考」だという。アートという行為を美術・芸術分野以外に取り込み、何か変化を求めたり、思考の拡張や跳躍を期待している感じが伝わってきます。
少し前はその言葉の場所に「デザイン」がいました。
デザインがすっかりビジネス用語になり、カウンターカルチャーとしての存在ではなくなりました。
デザイナーの私は自分のやり方を、デザイン思考として改めて学び直し、実際の業務に取り入れてきました。
デザイン思考という共通のビジネスワードができたおかげで、企画部門や開発部門に対しても説明しやすくなりました。医療デザインのためにデザイナーが現場を観察できるようになったことなどです。
さらにこの10年はエンジニア・プログラマーの活躍を羨ましくみていました。「デザインエンジニア」という人たちが誕生し大きな刺激を受けました。
デザイン思考によってデザイナーとしての活動の芯が強くなり、デザインエンジニアによってプログラムを学んだり、機構設計を手掛けるようになりデザインの仕事を広げることができました。
今から振り返れば、もともとデザイン思考的な活動をし、デザインエンジニアを目指していたと言えますが、言葉によって定義してもらうことで、自分が何を目指し、何に成りたいのかがよりハッキリしたり、他の人に説明しやすくなりました。
だから「アート思考」も自分の中の何かを再認識するのに役立つのではないかと思っています。
デザイナーもアートで変わる!
今度はアートがデザイナーとしての私をどのように変えてくれるのか考えるチャンスが来たみたいです。
自分の視点を広げるために3つのデザイナー像を設定してみました。
もちろん「デザイン」の意味の広さ・深さは理解している上であえて、視点に揺らぎをかけるための思考実験ですので、細かいことは一旦置いておきます。
①デザイン思考のデザイナー
②デザインエンジニア
③デザインアーティスト
デザインエンジニアは、プログラミングや機構設計などができビジネスを含めて考えることができるデザイナーのことです。普通のデザイナーがロジカルシンキングでデザインをするという意味合いではなく、エンジニアの領域まで越境したデザイナーです。
デザインアーティストは、今の言い方では広告やパッケージのデザイナーが近いと思いますが、これからは製品デザインやUXデザインにもエモーショナル要素としてのアートがより強く求められ活躍するイメージになるのでしょうか?
もう少しアートやアート思考のことを考えるために、自分の理解を整理してみたいと思います。
デザイン思考とは
デザイン思考については「デザイナーが昔からやっている3つのプロセスを、さまざまな活動に応用する方法」という共通理解ができてきたと思います。
<デザイナーの3つのプロセス>
利用状況の観察やユーザーへのインタビュー
複数案のアイデア出し、または繰り返しのブラッシュアップ
プロトタイプの作成と評価
もともとプロジェクトマネジメントの手法として、ユーザーを含むステークホルダーの要求事項をまとめることや、それを実現しユーザーの使い勝手を含む品質評価は存在していたと思いますが、それは会社組織でおこなう大きいプロセスの話でした。
それをデザイン思考では、組織内のチームやメンバーの個々の活動において実践することで、組織全体でのコンセプトの共有と一貫性が強化されました。
アート思考とは
デザイン思考の後釜であれば、アーティストがやっていたプロセスを、他の分野に応用して、何かのブレークスルーを実現しようという文脈で考えるのが正当だと思いますが、色々なコメントを見ていると、必ずしもそう言う視点だけではないみたいです。
アート作品を買って壁に飾ろう
社員にアート活動をやらせよう
と言う話しにすり替わっているようにも思われるものもあるようです。
いやいやそれは「芸術的な仕事のことでしょ。俺の仕事を見ろ」なんてことを言う人まで現れそうで、すっかりなんの話だか分からなくなっています。
アートを生み出すプロセスを他の活動に応用するために、3つほど書き出してみます。
自分の内部に生じた思考や感情を外部に吐露しなんらかの評価を受ける
共通の美的ルールや価値ルールを利用して合わせたり外したりする
オリジナリティと希少性によるブルーオーシャンの陣取りゲーム
この中からアート思考にとって重要なポイントは「感情の吐露」「ルール外し」「ブルーオーシャン取り」の部分です。
この3つによってイノベーションの起点になることができるからです。
デザインが会社の中で受け入れられるために、根拠や合理性、過去のデータや実績による確実性、ユニバーサルで社会性のある価値観を実現する行為になってしまった結果、アートの持つ破壊力に注目が集まったのでしょう。
共感の時代だからこそアートなのか!
アートの重要な側面として、作成側が価値を生み出すだけでなく、受け手側の解釈によってアート化される場合があります。民藝運動がそれに近いものです。
製品やサービスの価値の軸が、機能や使い易さではなく、共感や繋がりになる時代には、メーカーが押し付けるデザインではなく、ユーザーが発見する「何か」が必要になります。
ユーザーとエンゲージするためのチャンネルを得るために、アーティストのファンを生み出す力を利用することはアート思考の一つの目的なのかもしれません。
この点では、デザイナーがアートを学び、アート思考で考えるだけでななく、ビジネスやデザインのメンバーの中にアーティストを参加させるということも重要なポイントになってくると思います。
Society 5.0の中にアート思考を組み込む
国やメーカー(業界団体)は、現在「Society 5.0」を、さらにその先には「智連社会(WINS)」を目指しています。
アート思考を”売れる”思考法にするためには、この文脈にコネクトしておかなければなりません。
最終的に目指す智連社会では「多様性と全体最適の高度な実現」をAIやソーシャルの力を使って実現しようとしていますので、アートという文脈を使った連携は主要なインターフェイス言語の一つになっているのかもしれません。
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まとまりのない文章になってしまいましたが、今考えていることを書いてみました。
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