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あの日ぼくは、翼をそがれてしまった。

どうやらわたしは絵を描くことが好きだったようだ。

昔のアルバムに、絵を持った小さなわたしの写真が載っている。小学1年生の時に水彩画で「こぶとり爺さん」の絵を書いて、それが地域の新聞か何かに載ったのをかろうじて覚えている。

好きだったようだ、というのはその記憶がまったくないから。

そういえば幼稚園の時には、作文が地域の新聞に掲載されていた。幼稚園に入る前は、1年だけエレクトーンをやっていたらしい。クリエイティブな幼少期だったのかもしれない。「らしい」とか「かもしれない」と言うほどに当時の自分の嗜好性をまったく覚えていない。

ようやく年齢が二桁になろうとする頃、記憶の片隅にあるのはノートにマンガを描いていた景色。おそらく自分のまわりの子たちもマンガを描いていた。わたしよりも全然うまかったとは思うが、それでもただ自分が描きたいから描いていたように思う。もちろん記憶はない。

そんな小学生3、4年の頃、毎年学年の終わりに文集を書くという行事があった(今はあるんだろうか)。

中の文章はいろいろな企画に応じて作文を書いたり、アンケートに答えたりするようなものだったと思う。将来何になりたいとか、優しい人ランキングとか好きな歌手とか芸能人とか、なんとも平和なアンケートだ。

表と裏の表紙については、みんなが好きに描くということだったんだろう(そこの記憶はない)、わたしはよくわからないオリジナルのキャラに表紙は夏の服装、裏表紙は冬の服装を着せているみたいな、表と裏で季節と服装が違うという、もう発想だけで描いてたんじゃないかな、とにかく自分が良いと思ったものを描いてたんだと思う。その絵はおぼろながらに覚えている。

そんなとき、わたしが描いた表紙をみて同級生が何かを言った。

何を言われたのかはまったく覚えていない。誰が言ったのかもはっきりとは覚えていない。


ただ、悪口というか才能をけなされたことは覚えてる。


よく考えるとそんな風に直接悪口を言われたようなことは、人生を振り返ってもその一度しかない。


ぼくが広げていた翼は、言葉によってそがれてしまった。


才能があってもなくても、悪意があってもなくても、
そんなものは関係ない。

小さなぼくの背中から翼が消えてなくなった。

悲しかった記憶、悔しかった記憶はまったくない。自分のクリエイティブを認められなかったという空虚な気持ちはあったのかもしれない。今書きながらしっくりくる感情。

翼をそがれてから、学年が変わり、ソフトボールをはじめたり進研ゼミをはじめたり、高学年になると新しく興味のあることが増えてきた。

そしてそこから絵を能動的に描いた記憶がない。

中学高校でも美術の授業で絵を描いていただろう。でもそこには絵を描いて楽しかったという、感情の記憶はない。

あのとき、言葉のナイフが僕の翼をそいだ。記憶がないのは記憶を消してしまったのか、もしかしてまだ心の奥底に隠していて鍵をしているのかもしれない。

不容易なひとことが他者の人生を変えることがある。自分の人生を変えることもある。

時代が変わっても、直接的でなくとも、あちらこちらで言葉のナイフが飛び交っている。

せっかく言葉を使うならいい方向に変えることに使いたい。思わず心が軽くなることに使いたい。翼をそがれても軽くなることはない。


そしてクリエイティブは、自分が思うままに表現すればそれでいいのだ。


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