パン屋の徳利とサイダーの瓶
この夏の家族旅は、尾道へ。
幾度か訪れた今までは坂の街並みを歩いていたけれども、今回は自転車を借りて向かいの島「向島」へ渡ってみました。
時刻表なんてものはなく、10分間隔で行き来する尾道渡船。地元の人が普段の暮らしの中で、橋の代わりに普通に利用する生活渡船です。
郵便局員さんたちのカブと一緒に乗り込み、目前の島へ向かう5分足らず100円の小さな旅。
向島に渡ると木の電柱も残る懐かしい街並み。自転車を島の奥へひと漕ぎ、目指したのは「住田製パン所」。大正5年の創業以来この街でずっと愛されてきた街のパン屋さんです。
気さくなお母さんと楽しく地元の話をしながら、あんパンやネジパンなど懐かしいパンを選んでいる途中、ふと窓辺を見ると・・・そこに佇んでいたのは三本の徳利でした。
店名と電話番号の入った宣伝用の一升徳利。
古来、酒を樽で買えない庶民は、酒屋から徳利を借りて量り売りの酒をぶら下げて帰りました。「貸し徳利」「通い徳利」「貧乏徳利」などと呼ばれるその容器の胴には、宣伝用に酒屋の屋号や、区別用に名前や町名などが記されています。
この「住田製パン屋」の店名入り徳利は戦前に制作され、公民館などに寄付して宴会などで使われていたそうです。電話番号が3桁でその番号も当時としてはかなり貴重な番号をもらったとお母さんが教えてくれました。
「二代目の嫁入りは、向島で初の自動車を利用しての嫁入り、途中で畑に脱輪する」「創業者、成金状態」とか、住田製パン所のHPにあるこのお店の沿革もとても面白いです。
私たちは、福岡でちょうど「徳利」をテーマにした展示の帰り道。今回の展示でも福岡の地名を書いた徳利を作っていました。
酒器としては、やはり「文字が書かれている」というところが、この徳利の面白さ。釉調や模様など陶芸としての表現よりも、商業的・実用的な容器として制作された実直な存在。この住田製パン所というお店の歴史を伝えるような徳利に出会えたことを嬉しく思いました。
次に向かったのは、商店街の道をすこし先へ行った「後藤鉱泉所」。こちらは昭和5年創業のラムネやサイダーなどの清涼飲料水製造所です。
旧式の冷蔵庫から好きなサイダーやラムネを選んで栓抜きで開ける。その懐かしい行為も、平成生まれの娘にとってはとても新鮮な経験だったようで、王冠を嬉しそうにもらっていました。
住田製パン所のパンと一緒に傍のベンチに座って一服。店主の森本さんに島のおすすめのサイクリングコースを教えてもらいながら、看板の「マルゴサイダー」を。
年代物の機械で作る瓶サイダーは、炭酸のインパクトがあるのになんだか優しく爽やかで、甘みというより旨味を感じます。
これは、大吟醸を厚めの蛇ノ目猪口で啜る時の感覚になんとなく似ていて、ガラスの瓶の厚みが、磁器の猪口に口付けた時の優しい口当たりに通ずるのでは?と酒器屋の詮索・・・。コップではなく瓶から直接ジュースを飲むという楽しさに触れたひと時でした。
缶やペットボトルにとって変わり、ガラスの瓶入りジュースはあまり見かけなくなりました。ラムネ用の瓶は製造も中止され、この後藤鉱泉所ではその限られた瓶を再利用してジュースを販売しています。飲んだ後の瓶はケースに戻す。そしてそれにまたジュースを詰めて・・・というリターナブル瓶の活用は、エコシステムでありながらも訪れた人にとっては、その場で飲む&ガラス瓶というものに口付けるという楽しいエンタメにもなっているのでしょうね。
とはいえ、地元のレモンやトマトなどを利用したジュースをワンウェイ瓶で発送に対応するなど、事業としても新しく面白くもの作りをされています。
尾道での小さな旅は、思いがけず「容器」との出会いの旅となりました。
私たちもまた酒器という「容器」を制作する身であります。徳利も猪口もまさにリターナブルであり、酒という飲みものを注いでは啜り注いでは啜りを繰り返す道具。
その重みや口当たり、そして歴史など・・・。ものが評価される指標は様々ですね。古き良きが全てではないけれど、少なくなってしまったものに触れることの嬉しさは当然あるわけで、一升徳利もサイダーの瓶もそれを残してきた、そしてこれからも残そうとしている人の思いもまた詰まっているのでしょう。
実は、島を一巡りした後、乾いた喉を潤すため帰りにもう一度後藤鉱泉所に寄りました。一日自転車を漕いで流した水分を補給するようにサイダーをもう一本。
「渡船に乗る前に港から尾道の街を眺めるといいですよ。尾道からとは違ういつも見ない景色が見られます。」
帰り間際に店主の森本さんがこう教えてくれました。確かに、何度もこの街を訪れて見ているのは、千光寺から島々を眺めるこういう景色。
言われたとおりに船着場から左へ外れて脇の道へ。ひらけた防波堤は優しい潮風が吹いていました。海の向こうにはまだ浅い夕焼けに映える坂の街。「いつも見ない景色」を眺めながら、サイダーの瓶の口当たりを思い出す小さな夏旅の〆でした。