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自分の出生の謎

私は今まで自分のお父さんが誰だか知らなかったが
日常のたまたまのきっかけで誰かを知ることになる。

それはたまたま、おばあちゃんの机に置いてある日記を手に取ってしまったことだ。

daiaryの年数は1984年だが紛れもなく私が生まれた平成元年の記録が生々しく残してあった。

1ヶ月分の日数が見開き2pに渡ってぎっしりと殴り書きされているノートをみたのは本当にたまたまだった。

予期せぬ妊娠であったこと、祝福されない妊娠であったこと、おばあちゃんの母としての苦しみ、お母さんの様子がぎっしりと書いてあるその日記帳を見て、今まで自分が無邪気に『お父さんってどんな人?』って聞いてきたことがすごく母自体を傷つけいたのではないかと言うこと。

子供が生まれること、子供を育てることは
本当に責任がいることを実感した。

生まれた瞬間でさえも、誰からも喜ばれない
生まれても母は私を一切抱けなかったこと。
近所の目を気にして子供の存在を認めてもらえなかったこと、全てが読んでいて胸が痛いものだった。

それでも、施設に私を入れてから3年後に迎えに来てくれて、紆余曲折ありながらも、そんな予期しない子供をしっかりと、育ててくれたこと。本当に感謝している。

もう、私も30歳といういい歳なので
自分の存在に対しての否定感もないし、凹むというよりかは、そんな困難な状況を女の手ひとりで乗り越えてくれた母への感謝の気持ちがすごくこみ上げてきた。

改めてもっと家族を大切にしたいと思うし
もっともっと感謝の気持ちを伝えていきたいと思った。

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