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自分がこじらせてるなんて、ほとんどの拗らせてる女子は気づいてない件について

『拗らせる』いつからこの言葉が使われるようになったのか。

2013年、エッセイのタイトルから派生した単語「こじらせ女子」がユーキャンの新語・流行語大賞にノミネートされたことがきっかけで、「拗らせる」は特定の人の特徴を表す言葉として使われるようになった。


それから9年、『拗らせる』という動詞は、30代の女子から見ると恐怖の言葉に昇華した。


仕事そこそこ頑張ってるし、若い時それなりにモテたし、ある程度会社でも評価されて一人前の都会に住む女として認められた経験を持つ女ほど『拗らせてるね?』って言われることを恐怖に思うことはないと思う。


自分だって拗らせるつもりはなかったし、外部要因として拗らせただけなのかもしれないけど、そこには共通して自分の承認欲求を満たすためにCIAばりの操作能力を恋愛や、人間関係に発揮してしまっているだけなのかもしれない。


それでも仕事ではそれなりに評価されてるのに何故か結婚出来なくて、自尊心が低すぎて結婚できていない自分に価値がないって思っている自分が目黒区の中心にいる(@中目黒のワインバー)


それなりに経済力を持ち合わせてそれなりにお金を自由に使える時間も経済力もある自分が、なんでこんなに『拗らせる』って言葉に恐怖を覚えているのか。


きっとそれは人一倍努力してきた自分を労うための屈折した自尊心なのかもしれない。


どんなに鬱になっても、どんなに会社を辞めて結婚してお金持ちの専業主婦になりたいと思っても、我慢してきた自分を、やっぱり特別な自分として受け入れたいし、特別な人間として見てほしいから、社会の荒波の中に揉まれる経験をしたいのかもしれない。


いいじゃん、それでも自分の大切だと思うことを大切にしようよ。


それで少しでも自分が救われるのならば。

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