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生命(いのち)の使い方

〜アナタの生命(いのち)は一つです〜

 先般、一歩間違えば、生命(いのち)を失う場面に出くわしました。私たちの「人生は一度きり」です。そこで、「一生懸命(いっしょうけんめい)」になるということ、生命の使い方について考えさせて頂きました。

 日常に潜(ひそ)む危険、あなたはその時に、どのような行動をとられますか。今回は自分に置き換えてみて、一緒に考えて下さい。

 ちょっと前の事です。所用で東京の品川まで行ってまいりました。久しぶりの新幹線に心がウキウキ致します。たまには旅も良いものです。

 品川に降りて、高層ビルを見上げながら、駅からホテルに行くまで歩いていますと、段々と幅が小さい道になりました。車と人の距離がほとんどありません。車も結構なスピードで横を通っています。その時は、私の前にサラリーマンの方と若い方が歩いていました。
 すると車が一台、歩行者寄りで早いスピードのまま走ってきました。
 早めに気付いた私はすぐさま、車道より離れ「車が行きますよー」と前の方々にお声がけをしました。サラリーマンの方はスッと避けられます。ただ、若い方は全く気づかず、それどころか携帯に夢中になるばかりに、道路の真ん中を歩いています。車も全く気づいていないのか、スピードを落としません。

「あっ、車とぶつかる」と思った瞬間、サラリーマンの方が走って若者に近寄り、腕を掴んで歩行者道路に引き寄せます。スピードを保った車が若者のいた場所を走っていきます。九死に一生を得ました。
 目を凝(こ)らし、車の運転席を見ると、運転をしながら携帯を操作しています。勿論、何も気づかずにその車はそのまま走り去りました。腕を掴まれた若者は状況が分かっていないのか、キョトン、としています。
 私が行って状況を説明すると、深々とサラリーマンの方に頭を下げて、その場を後にされました。

 若い人の話しには、携帯を操作しながら、イヤホンから流れる音楽に夢中になり、周りの音を聞こえなかったそうです。
 確かに、携帯電話は自分と世界を繋げる素晴らしいものですが、使用の仕方や場所を適切にしないと、今回のようなことが起こります。

 人の生命の為に「一生懸命」になるサラリーマンの方、自分の世界に「一生懸命」になる若い方、車を運転し、危険性があるにも関わらず携帯操作に「一生懸命」になる車の運転手の方、みなさん「一生懸命」でありながらも、「一生懸命」になるものがそれぞれです。
 今回は、車の事故になりかけるお話しでしたが、これはあくまでも一例です。この記事を読まれたアナタは、どの「一生懸命」でしょうか。生命は一つしかありません。アナタの日常、生命の使い方をもう一度考えてみて下さい。
 

 私は東京から高野山に帰って来ましたら、ホッと致しました。高野山とご縁があって、僧侶になって、幸せを深く感じます。この高野山より皆さまの幸せを願っています。

 また、仏教から「生命の使い方」を見てみると、どうなのでしょうか。仏さまの教えを実践する「菩薩(ぼさつ)」から学んでみたいと思います。興味のある方は↓に進んでください。

https://x.gd/BLiyz


「一生懸命」という言葉の隠された意味、日常で実践できるより良い仏教における生命の使い方は千手会の行事や高野山千手会公式アカウントでお伝えさせて頂きます。
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