見出し画像

僕がなかなか発達障害を受け入れられなかった件について

 僕は発達障害だが、それを言い訳するというのが嫌いだ。 だから、動画でも自分でどうにかしよう足掻こうとしてムチャクチャなことをやっているなと自分でも自覚していたし、止められなかった。 どうにかして足掻くしか方法がなかったからだ。
それに僕は真剣にこの件について悩んでいたからYouTubeでエセの情報を発信して惑わすYouTuberが嫌いだった。 そもそも僕は発達障害の診断が下る前からADHDだろうという自覚はあった。

発達障害の自覚

 はじめて自分が人と比べて明らかにおかしい!と思ったのは小学生のそろばんの時。そろばんは10分間解くのだが、5.6分すると妙にぼーっとしてしまうからなかなか計算が他の同期と比べて、遅かった(これでも一応5段は取っているが)。 そのほかにも理屈よりも身体が動くから、様々なトラブルを巻き起こした。 そして忘れ物もひどく、高校3年生の時に袋井高校の担任に毎朝手帳を持っていて朝何を持って行ったかをチェックするという作業を毎日毎日していた。 という感じでADHDエピソードは尽きないのたが、発見が遅れたのは家庭にも問題があったと思う。 母はおそらく、自分が産んだ息子が発達障害とかだと思いたくなかったのだろう。だから、母はことあるごとに忘れ物や家庭での不和はすべて「当人の努力不足」だからと何度も何度も叱責を受けヒステリーを起こされた。 それを僕は何回も何回も直そうとしたが、あまり出来なかった。 小児科医にもそういうエピソードを語るのだが、僕は自分が怠惰でやらないだけで、努力が足りなかったせいみたいなことを言ったと思う。 そう言ったのは「自分が努力してない!」と思っていたのもあるし、今だからわかるが母に忖度していた節があったのだろう。 また父も含めた家族会議のときに、「お前は障害なのか!?」と小4か小5の時に怒鳴られたが、「そんなわけがないだろ!」と自分は反発した。今考えればどう考えても発達障害なのだが、母の「努力が足りないからだ!」が足枷になっていた。僕は母がすごくキライなのだが、深層心理ではかなり好きで好きで仕方ないのだろう。だから自分の努力が足りないせいだと自己を戒めた。それでもなお、改善されることは少なかったので、自己肯定感はこの時点からあまりなく、チー牛陰キャ路線へとひた走ることになる。

大学での躓き

 その後大学では簿記三級とTOEICを受けることができず断念。でもぶっちゃけ1年目はそこそこ充実していた。よっ友くらいはいたが、2年目3年目で死滅。 僕はただでさえ、人に助けをもらわないと何もできないタイプだ。だからこういうタイプが友達がいないと大変なことになる。4年生の頃には大学に行くものの、友達はいないし、コミュ力もなかったから本当に辛かった。ここから僕最大の勘違いである、「1人で頑張るしかない」が発動してしまう。 「1人で頑張るしかない」と思ってたから、就職に失敗した!動画投稿しかない(目ん玉ぐるぐる)!とラリってしまい、すごい劣悪な条件で働かせられていた。たしか時給200円のなんJのクソみたいなまとめをまとめるという作業だったと思う。 その後身体を壊し、うつ病になる。あまりにも情けなくて涙が出た。その後、うつは認知療法と漢方で治したのだが、その後に自分の鬱の原因となったADHDとASDだと診断を受けショックだった。涙が出た。 でも僕は母から「努力が足りないから生活できないんだろ!」という風な子育てをされてきてここまで育ったので、それをなかなか受け入れることができなかった。自分は定常発達だと思い込んで生きてきたので、「じゃあ今までの俺の人生なんだったんだ?」と思ってしまったのである。 つまり、自分がADHDやASDを認めること=母の期待を裏切らないようにした努力がすべて無駄であり、自分と同類の人間がただ甘えてるだけではなかった という構図が出来てしまうのである。(勝手な自己都合解釈なのだか妙に変なこだわりがあった) 別に「どうにかなるさと遊ぶけど、どうにもならないことがある」と割り切ればよかったのだが、親の呪縛なのだろうか?どうにも発達障害はあくまで個性であり、薬とかで治すものではなく、努力でなんとか出来るものと思い込んでしまったのである。 でもここまで毎日投稿続けてもなんか白けるし、受験生版ではコテンパンに言われるし、新しい新居でも自炊はおろか(自炊はそこまでできなくても問題ないが)、食事できない、朝起きれない、洗濯できないetc…の問題を抱えており苦しくてしょうがなかった。 だから、そういう障がいの克服に取り組んでみようと思う。 無論、発達障害だからと言って、それを言い訳にして〇〇だからダメだと言い訳に使うつもりはない。 むしろ、発達障害だから「こそ」出来る部分もあると思うのだ。それが「コヤノルチャンネル」のテーマである。だから薬を一回試して、せめて人並み程度の生活力を手に入れることがもし出来るのであれば、これ以上誉れなことはない。 まぁ無論薬が効くとは限らないし、到底思えない。 だが、画面の前にいるかもしれない応援してる人が救われるのであるならば、僕は彼らのために飲もうではないかと思い自分の背負った宿命を受け入れることにしたのである。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?