見出し画像

イタリアにおけるフードデザインの全体像

衣食住に関してイタリアは、世界で最もクオリティ・オブ・ライフが高い、と社会学者のF.モラーチェは指摘していますが、世界No.1デザイン大国は、フードのデザインをどのように捉えているのでしょうか。本noteではその全体像を示しましょう。なお、本noteは、2019年8月30日に鶴岡高専で行われた第32回商品開発・管理学会の発表予稿集「イタリアにおけるフードデザインの全体像について」に基づいています。

1. フードデザインの射程

以下の図1が、イタリアのインダストリアルデザイン協会(ADI)がまとめた、イタリアにおけるフードデザインの全体像です。

フードデザイン図1

イタリアにおけるフードデザインとは、オーガニック農産物を「生産ー流通ー消費」する仕組みを作ることです(A.メローニが指摘しています。)。狭義のフードデザインは、(a)新たな料理メニューの開発(後述)であり、他方、(b)新たな食の体験をデザインしたり、(c)アグリ・ツーリズムの対象となるようなオーガニックフードを生産する新たな農村社会をデザインするのは、広義のフードデザインに属するでしょう。(b)新たな食の体験とは、ミラノのレストランのイル・ルオーゴ・ディ・アイモ・エ・ナーディア(Il luogo di Aimo e Nadia)でかつて行われたように、卓上に金属製の彫刻を置き、壁に現代絵画を掛けて現代アートの体験も一緒にできるようにしたり(1)、あるいは食事と同時にショー(スペクタクル)の体験もできる、といったことです。イタリア料理の特徴としてのショーの要素は以下のように記述されています。
「音楽や舞踏,歌や演劇,ゲームや会話を楽しむ場としての食事の席という観念。イタリア料理のあらゆる特徴のなかでもっとも重要なのが,このショーとしての要素だろう。…食事の合間には,やはり意図的に,さまざまな種類の出し物がはさまれる。…一本の喜劇が通して上演されることもあるし,愉快な出し物を披露しながらベルガモやベネツィア風の道化役者がテーブルのあいだをまわったり,鎌で庭の雑草を刈り取る真似をしたりといった余興で,テーブルサービスにめりはりをつけるのだ。」(2)

そのほか、新たな食事の仕方をデザインするような試みも含まれ、ミラノ工科大のS.マッフェイ(S.Maffei)の整理によると(3)、たとえば、アルコールの蒸気を吸引するバー(Alcoholic Architecture)(4)、野菜を使ってオーケストラの演奏を行うThe Vegetable Orchestra(5)、集約太陽光で調理を行うSolar kitchen Restaurant(6)、ジプシーが自分の子供に食物を提供するように、ジプシーによって果物等を剥いてもらいながら社会で差別されてきた彼らの話を聴く試み(Eat Love Budapest)(7)、スローフード運動の拠点であるEately(イタリアの農産物のショッピング・食事体験を提供)(8)、プロジェクションマッピングレストラン、などが挙げられます。しかしながら、新たな食事の仕方をデザインするという取り組みは、例えば箸を使って食事をするという食事習慣の強い持続性を鑑みると、功を奏することは稀でしょう―箸を使って食事をするという習慣などは、歴史時間で言うと数百年~千年単位で変化しない「長期の持続」に属することですから(9)。
(c)アグリ・ツーリズムの対象となるようなオーガニックフードを生産する新たな農村社会をデザインするという意味での広義のフードデザインのイメージは、経済学者の宇沢弘文の業績について以下のように柄谷行人氏がまとめたものが参考になります。
新たな農村社会は、林業・水産業・牧畜等を含む生産だけでなく、それらの加工・販売(流通)・研究開発・金融を統合的に、計画的に実行する。…今までのように、農業を経済合理性だけから考えると、今、米国でやっているように大農場で飛行機で種や農薬を散布したり、遺伝子的に改良した作物を工業的に大量生産することが望ましいということになる。それは、一見合理的に見えるけれども、土壌及び人間を破壊するものであり、結局は、非合理である。」(10)

以上をまとめると図2のように整理できるでしょう。ユートピアとしてのナウシカの「風の谷」は、この新たな農村社会のイメージに相応しいでしょう。

フード図2

2.イタリア料理の未来


 狭義のフードデザインは、新たな料理メニューの開発であり、冒頭の現代西洋料理の系譜図を参考にすると、イタリアのフードの未来は、ローマのペルゴラ(Pergola)レストランのシェフであるハインツ・ベック(Heinz Beck)が提唱するような心身ともに健康になるような医食同源を目指す方向性でしょう(図3)。それは、(フォッジャ(Foggia)大学でグルテンの毒性を無毒化する技術が開発されたとはいえ)古代小麦(11)の全粒粉といったオーガニックな素材の味を活かす方向性です。

フードデザイン図3

健康をテーマにするベックは、エルヴェ・ティス(Hervé This)を源流とし、かつてレストランのエルブジでフェラン・アドリア(Ferran Adrià)が積極的に開発を行っていた分子ガストロノミー(分子調理)の方向性に与せず、アルツハイマー患者妊婦のためのメニューなどを開発しています(12)。元々イタリア料理は、日本料理と似て、素材の持ち味を活かすことに執着する傾向があり(13)、ヨーグ・ジップリ(Jorg Zipprick)が、『食欲を減退させる分子調理の裏の事情(Les dessous peu appétissants de la cuisine moléculaire)』を記し、2010年にイタリア保健省が分子調理用の化学物質の使用を禁止したこともあって、イタリアでは分子調理は普及しません。スローフード運動の拠点であるEatalyは、素材の持ち味を生かせるオーガニックを基本としつつ、裏面ではこの分子調理と距離を取っています。

現代西洋料理には、新たな発酵料理文化を創ろうとするレネ・レゼピのようにヨリ一層“なまもの”を活用する方向性ー洋食の和食化傾向ーもありますが(図4の「料理の三角形」(14))、イタリア料理がそこに向かうことはないでしょう(既にチーズ・ヨーグルトの発酵文化が存在するからです。)。なお、図3のMake it raw(ローフードの方向性)とは、最高峰の和菓子職人が以下で述べているような方向性です。

「素材の味を活かすべく、素材をなるべく触らず、見ない―見ると目垢がつく―で作るのが和のもの(寿司なんかも細胞膜一枚だけを切って、その隣の細胞は顕微鏡で見ても細胞膜が破壊されていない)。昭和30~40年代、大いに和菓子が売れたので、機械を導入して練って作った和菓子があるが、それは邪道である。機械ほど何回もタッチするものはない(タッチの回数が多い)。触らない方がおいしくなる(いちごはゴシゴシ洗うとダメ。これをイチゴの理論という)のは、穢れとかいう宗教的な理由ばかりでなく、実際にその方がおいしいから。これは西洋の食材を変換する文化(ペーストにしたりとか)とは決定的に違う。ユリ根の餡を馬の毛のろ過器具で濾すときも、一回押さえたら、二度は押さない。なるべく触らない。西洋の変換の文化は触ってかたちを整えるのが美しい(食品加工を肯定)。和の文化は、触ると穢れるということで触らないので薄くても食感がある。日本人の唾液の分泌量が、西洋人と比べて少ないという生理学的背景もあるだろう。分泌量が少なければ、味を愉しむということよりも食感を愉しむということになる。そばやうどんの喉越しが良いという言葉が西洋料理にあるのか?また、触らないで未加工のものを頂けるのは、それだけ食材の種類が豊富で、素材そのものの味を大事にすることができるのではないか?食材の種類が少なければ、加工・変換して様々な味付けをする方向に料理が発展する。ペーストにしたらダメ。馬毛で越して食感を創れる。壊さないのが美しいという美意識がある。」(15)

フード図4

3.今後の展望

昨今の健康志向の高まりを受けて、菜食主義の傾向がますます強まっており、赤身の肉はより一層節約的に用いられると前述のフェラン・アドリアも述べています(16)。“健康のための和食”の未来として、近代西洋文明と接触する前の江戸時代の和食を範とする方向性が考えられるかもしれません(17)。というのも、和食の今後の方向性として、大和薬膳という方向性が考えられないかどうか、日本料理人に取材したところ、本格的な中華の薬膳料理には敵わないという次のような証言が得られたからです。

「大和薬膳という言葉は、官庁主導の“薬膳マイスター”という資格をプロモーション・ブランド化するために用いられている。動物の肉を使わない日本の精進料理の中で、既に薬草などは採り入れられていた。普茶料理も、江戸時代初期に中国から日本へもたらされた精進料理である。官庁が、この資格(薬膳マイスター)の取得を一般人に勧める背景には、和食をブランド化するためという意図があるのだろう。しかしながら、中医学の漢方薬が使われる本格的な中華の薬膳料理を、そう簡単に日本で作れるわけがなく、そういうことをやろうとすれば、まずは漢方薬の知識を学んだうえで、次に、中華料理も学ばないといけないだろう。本格的な中華の薬膳料理は、本場の光州などでは安くて美味しいのだが、香辛料を輸入すると高くつくため、日本でちゃんとした中華の薬膳料理を食べると高額である。なお、中国の本場でも元々皇帝が食べていたような薬膳料理は、素材が高いため、本場の光州でも高価である。」(18)

狭義のフードデザインでは、世界中の食べ物を博物館のように食すことができる日本がイタリアに負けていないとすれば、新たな食の体験ーインテリアとして飾られている現代アートの体験ができるレストランや、桜吹雪が舞うようなエンターテイメントレストラン(ショーの要素)ーを可能にするレストラン(19)や、オーガニック食材(20)の生産ー流通ー保管(たとえば、アイスクリームの店頭陳列冷蔵庫の開発)といった面での広義のフードデザインに学ぶ点があるでしょう。

謝辞:本noteを執筆するに際して、『科学でわかるお菓子の「なぜ?」―基本の生地と材料のQ&A231』(柴田書店2009年)などを著し、調理科学を専門とする木村万紀子先生から現代フランス料理の流れなどについて御教示頂いたことに感謝いたします。


(1)Di Prete,Barbara(2018),Spazio Al Cibo,Maggioli editore,p.133 なお、ディ・プレーティ(Di Prete)はイタリアにおけるフードデザイン研究のリーダーであると思われる。
(2)Romano, R. (1997). Paese Italia, Donzelli Editore(関口英子訳『イタリアという「国」-歴史の中の社会と文化』岩波書店2011 年)より
(3)Maffei,Stefano and Barbara Parini(2010),Food Mood,Electaの第二章
(4)https://www.youtube.com/watch?v=g010ibxFem4
(5)https://www.youtube.com/watch?v=kKrx1gWI_Vk
(6)https://www.youtube.com/watch?v=sAIcU2qaqJw
(7)https://www.youtube.com/watch?time_continue=202&v=Ji3WCF8oUx0
(8)https://www.youtube.com/watch?v=0YxAzEUtBG8                                      (9)古川堅治(1991)「「アナール派」史学研究の可能性」(赤井彰・高橋正男・古川堅治著『ブローデルとブローデルの世界』刀水書房所収pp.181-215)
(10)柄谷行人「宇沢弘文と柳田国男」『現代思想』2015年3月号 総特集・宇沢弘文より                                                                                                      (11)牧みぎわ(2017)「小麦の文化史:イタリア小麦の現状とセナトーレ・カッペッリ小麦」桃山学院大学『人間文化研究』Vol.6, pp.213-240      (12)https://www.youtube.com/watch?v=8ZGXmTiJ02oより
(13)『専門料理』2016年11月号,pp.74-77におけるマッシモ・ボッツゥーラ(Massimo Bottura)の発言から                                                                        (14)料理の三角形については、伊藤晃(1968)『レヴィ=ストロースの世界』みすず書房所収の「料理の三角形」(西江雅之訳)を参照。                                    (15)2018年3月6日の“樫舎”に対する筆者の取材結果から(http://www.kasiya.jp/tenpo/)                                                                          (16)Maffei,op.cit.,p.52 なお、T・コリン・キャンベル/トーマス・M・キャンベル著,松田麻美子訳『チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクバガン報告」』クスコー出版2016年でも、健康のためには動物性たんぱく質の摂取を控えることが推奨されている。                                                              (17)Weston A. Price(著),片山恒夫/恒志会 (訳)『食生活と身体の退化―先住民の伝統食と近代食その身体への驚くべき影響』恒志会2010年では、(小麦を国際輸出商品にすべく)精白加工された小麦と砂糖を使った近代西洋食品を摂取するようになった先住民の歯並びが軒並み悪化し、鼻呼吸ではなく口呼吸へと移行してしまう点が述べられている。同様に、米食文化圏の場合、白米ではなく未精製の玄米の摂取が推奨されている。昔ながらの食生活が健康長寿をもたらす点については、近藤正二『日本の長寿村・短命村』サンロード出版1991年を参照のこと。
(18)2018年10月17日の“天ぷらてる”に対する筆者の取材結果から(https://tempura-teru.jp/)                           (19)中国のエンターテイメントレストランの事例:https://www.bilibili.com/s/video/BV1Xg411G7To   上海の「M-MIX电音烤吧」という店                                                    (20)オーガニックフードの生産は、移民労働力に負っている部分が大きい。https://www.youtube.com/watch?v=BCfuDJHZR_0&ab_channel=%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%21%21

参考文献:
Appiano,Ave(2012),Bello da mangiare-Il cibo dall’arte al food design,Cartman
Asensio,Paco(ed.)(2005),Food design,teNeues
Bassi,Alberto(2015),Food design in Italia,Electa
Beck,Heinz(2014),Vegetariano, Bibliotheca Culinaria
Beck,Heinz(2009),L'ingrediente segreto. La filosofia e le passioni di un grande maestro del gusto, Mondadori
Cracco,Carlo(2015),In principio era L’anguria salata,Rizzoli
Cracco,Carlo and Davide Oldani(2010),Panaettone a due voci,Giunti
Cracco,Carlo and Alessandra Meldolesi(2006),Cracco Sapori in movimento,Giunti
Grignaffini,Andrea et.al.(2015),Il cuoco universal,Marsilio
Guixé,Martí(2015),Food Designing,Corraini Edizioni
Iaccarino,Alfonso(2010),La cucina del cuore,Mondadori
Mangano,Dario(2014),Che cos’è il food design,Carocci editore
Mazzolini,Elsa(2013),Grandi Chef piccolo prezzi,Giunti
Morace,Francesco et al.(2006),Paolo Lucchetta+RetailDesign srl. Venezia Marghera Italy. Works 1999-2006.,Electa
Simonetti,Gianni-Emilio (2010),Fuoco Amico-Il food design e l’avventura del cibo tra sapori e saperi,DeriveApprodi srl
Sweetapple,Kate and Gemma Warriner(eds.)(2017),Food Futures –sensory explorations in food design,Promopress


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?