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GⅠ競走のレース名の由来を解説【アルゼンチン編】

 レース名って種類豊富ですよね。スプリンターズSやマイルCSのように「距離まんま」な名前もあれば、皐月賞や桜花賞のように季節柄な名前もありますし、安田記念や有馬記念のように人名由来のものもあります。

 海外のレース名を聞くと「長くね?」って思うものがあります。たとえば、パナマの3冠競走の第1戦目の正式名称は「アルトゥーロ・エリック・マックス・エリック・アルトゥーロ・イ・エリック・アントニオ・デルバジェ」です。デルバジェ家に属する人の名前がずらぁぁぁぁっと並んでいるために長くなっています。シンタロウ・ユウジロウ・ノブテル・ヨシズミ・イシハラみたいな感じです。

 今回はアルゼンチンのGⅠ競走の名前の由来を紹介します。GⅠのレース名の前には「大賞典」を意味するグラン・プレミオ(Gran Premio)がつくのですが、省略して表記しました。


ミゲル・アルフレード・マルティネス・デ・オス

 人名です。ミゲル・アルフレード・マルティネス・デ・オスは1867年4月29日にブエノスアイレスで生まれ、1916年から1919年までアルゼンチン・ジョッキークラブの会長を務めました、

ヒルベルト・レレーナ

 これも人名になります。1855年5月24日にモンテビデオで生まれ、1912年12月8日に亡くなったウルグアイ人のサラブレッド生産者です。本名はヒルベルト・フスティニアーノ・レレーナ・レングアスになります。

 ブエノスアイレスに移住してエル・ビエホ牧場(Haras El Viejo)を開業し、1904年にアルゼンチン4冠を達成したオールドマン(Old Man)を生産しました。エル・ビエホはスペイン語で「老人」を意味し、ヒルベルト・レレーナさんのあだ名でした。「老人(エル・ビエホ)」なので「老人(エル・ビエホ)」牧場であり、「老人(オールド・マン)」と名付けられたわけです。

 また、レレーナはアルゼンチン・スタッドブックの創設者の1人でもあります。

デ・オノール

 オノール(honor)はスペイン語で「名誉」を意味します。直訳すると『名誉の大賞』です。

モンテビデオ

 ウルグアイの首都です。

ホルヘ・デ・アトゥーチャ

 人名になります。1925年に生まれたアルゼンチンの生産者です。ブエノスアイレスにあるエル・ペラード牧場の創設者で、1940年にブリティッシュエンパイアー(British Empire)を種牡馬としてアルゼンチンに導入しました。

クリアドーレス

 クリアドーレス(criadores)はスペイン語で「生産者」を意味します。直訳すると『生産者大賞』です。

レプブリカ・アルヘンティーナ

 レプブリカ(república)はスペイン語で「共和国」、アルヘンティーナ(argentina)はスペイン語の形容詞で「アルゼンチンの」となります。直訳すると『アルゼンチン共和国大賞』です。

シウダー・デ・ブエノスアイレス

 シウダー(ciudad)はスペイン語で「都市」「市」、デ(de)は英語の "of" にあたり、ブエノスアイレスは都市名です。直訳すると『ブエノスアイレス市大賞』です。

デ・ラス・アメリカス - OSAF

 直訳すると『アメリカ大賞』になります。"OSAF" は南米競馬機構(Organización Sudamericana de Fomento del Sangre Pura de Carrera)の略称です。

デ・ポトランカス

 ポトランカス(potrancas)はスぺイン語で「牝馬の若駒」を意味します。直訳すると『牝馬の若駒大賞』です。

グラン・クリテリウム

 グラン・クリテリウムはグラン・クリテリウムです。フランス語のクリテリウム(critérium)からの借用であり、直訳すると『大予選』とか『大競技会』という意味になります。

25・デ・マヨ

 マヨ(mayo)はスペイン語で「5月」なので、直訳すると『5月25日大賞』です。アルゼンチンがスペインからの独立を宣言したのが1810年5月25日。そのため、5月25日はアルゼンチンの革命記念日であり、現在は祝日となっています。

エストレージャス・ジュヴェナイル・フィリーズ
エストレージャス・ジュヴェナイル
エストレージャス・マイル
エストレージャス・ディスタフ
エストレージャス・クラシック
エストレージャス・スプリント

 エストレージャス(estrellas)はスペイン語で「星」を意味しますが、転じてスター選手の「スター」も意味します。エストレージャス競走はアメリカのBCに倣って創設されました。各カテゴリーの「スター」が集結する競走ということです。

1000ギニー
2000ギニー

そのままです。

ヘネラル・サン・マルティン

 ヘネラル(general)はスペイン語で「将軍」を意味します。したがって、サン・マルティン将軍という人名です。

 ホセ・フランシスコ・デ・サン・マルティン・イ・マトーラスは、1778年2月25日にアルゼンチンのコリエンテスで生まれました。アルゼンチン独立戦争に参加し、スペインを撃破した独立の英雄の1人です。亡くなった日はサン・マルティン将軍逝去の日(Paso a la Inmortalidad del General San Martin)としてアルゼンチンの祝日になっています。

 アルゼンチンには「ヘネラル」とつくレース名が他にもあります。ヘネラル・ビアモンテやヘネラル・アルティガスなどです。前者はフアン・ホセ・ビアモンテ将軍、後者はフアン・グレゴリオ・デ・ラス・エラス将軍に由来します。ヘネラル系は19世紀の独立戦争で活躍した軍人の名前だと思ってくれて構いません。

ポージャ・デ・ポトランカス
ポージャ・デ・ポトリージョス

 ポージャ(polla)は本来は「雌鶏」や「若い女性」を意味しますが、南米のスペイン語では「馬の競走」や「馬の賭け」という意味があります。ポトランカス(Potrancas)は「若駒の牝馬」、ポトリージョス(Potrillos)は「若駒の牡馬」なので、直訳すると『3歳馬の競走』となります。

 ちなみに、スペインでポーリャ(Polla)という単語は使わないでください。特に女性の方は。口語・俗語で男性器(ニュアンスとしては日本語のチ〇コ)を意味するので、すごく笑われます。

セレクシオン・デ・ポトランカス
セレクシオン

 アルゼンチンのオークスはセレクシオン(Selección)というレース名です。英語のセレクション(Selection)と等しく、「選択」「選抜」「代表」を意味します。ですが、ただの選抜競走ではなく、スペイン語のセレクシオンには「品種改良のための繁殖動物の選択」という意味も含まれます。

スイパチャ

 ブエノスアイレス州北部にある都市名です。

サン・イシドロ

 ブエノスアイレス州にある地区であり、競馬場の名前です。

ジョッキー・クルブ

 アルゼンチン・ジョッキークラブのことです。

プロビンシア・デ・ブエノスアイレス

 プロビンシア(provincia)はスペイン語で「地方」「県」「州」を意味します。直訳すると『ブエノスアイレス州大賞』です。

コパ・デ・オロ

 コパ(copa)はスペイン語で「カップ」、オロ(oro)は「金」。直訳すると『金杯』です。

エンリケ・アセバル

 人名になります。1906年にアルゼンチン・ジョッキークラブの会長を務めたのがエンリケ・アセバルです。

マイプー

 ブエノスアイレス州南東部にある都市名です。

ナシオナル

 アルゼンチンのダービーをナシオナルと言います。ナシオナル(nacional)はスペイン語で「国民の」「国家の」という形容詞です。直訳すると『国家大賞』となります。国のレースがダービーというわけです。

パレルモ

 ブエノスアイレス自治市の地区の名前であり、競馬場の名前です。

ホアキン・V・ゴンサーレス

 本名ホアキン・ビクトール・ゴンサーレスは、1863年3月6日にブエノスアイレスで生まれました。アルゼンチンの上院議員であり、法務大臣や教育大臣を歴任しました。ラ・プラタ大学とブエノスアイレス高等師範学校を創設するなど、アルゼンチンの教育向上に大きく貢献しました。

ダルド・ロチャ

 これも人名です。本名はフアン・ホセ・カルロス・ハシント・ダルド・ロチャ・イ・アラーナと長い長い。1838年9月1日にブエノスアイレス生まれ、1921年9月6日に亡くなりました。1881年から1884年までブエノスアイレス州知事を務め、1882年11月19日に州都ラ・プラタ市を建設しました。

 上述のホアキン・V・ゴンサーレスとダルド・ロチャは、毎年11月19日にラ・プラタ競馬場で開かれます。月曜日だろうと水曜日だろうと日曜日だろうと、ラ・プラタ市の建設記念日である11月19日で固定です。

コパ・デ・プラタ

 プラタ(plata)はスペイン語で「銀」を意味します。直訳すると『銀杯』です。

フェリクス・デ・アルサガ・ウンスエー

 フェリクス・デ・アルサガ・ウンスエーは、1934年から1949年まで16年もアルゼンチン・ジョッキークラブの会長を務めた人物です。

ホアキン・S・デ・アンチョレーナ

 本名はホアキン・サムエル・デ・アンチョレーナと言います。1876年8月20日にブエノスアイレスで生まれ、ブエノスアイレス市の役員やアルゼンチンの下院議員を務めました。また、1922年から1923年までと、1958年から1959年までの計4年アルゼンチン・ジョッキークラブの会長でした。

カルロス・ペジェグリーニ

 南米最大の競走には、最大の競走にふさわしい人物の名がつけられています。本名はカルロス・エンリケ・ホセ・ペジェグリーニ。イタリア系の名前なので、ペレグリーニとも読みます。どっちでもいいと思います。

 カルロス・ペジェグリーニは1846年10月11日にブエノスアイレスで生まれました。1886年からアルゼンチン副大統領を務め、1890年に第11代アルゼンチン大統領に就任しました。1892年まで大統領の座にいました。

 また、1882年にアルゼンチン・ジョッキークラブの初代会長となりました。会長職は1888年から1890年まで、1893年、1895年から1897年までと計8年務めました。


 いかがでしたか? 普段まったく気にせずに読んだり書いたりしているレース名には、アルゼンチンの偉人だったり、競馬界に貢献した人物だったりの名前がつけられていることが分かりました。レース名を調べることはその国の歴史に触れることでもあるので、知識を蓄える1つの手段として有効です。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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