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地獄でなぜ悪い

「ぷ」の長さ

朝の5時半が近付くと、一応寝ている人の機嫌を逆なでしない様な爽やかな音楽に軽快なトーン、丁寧な言葉づかいで「時間だから出ていけ」という内容のアナウンスが流れた。

渋々夜明け前の別府に降り立ち、港から駅に向かって海岸沿いをとぼとぼと歩く。寝起きで大きい荷物を持って歩かなければならない状況は今後もあるんだろうか、と海を見ながら足を進めた。

徐々に空が白んでいき、やがて太陽が顔を出す。
ここ最近見てきた静かな海とは違って、はっきりと耳に届く波の音に鳥の声、磯の匂いが鼻をかすめる。

この日も別府温泉で朝風呂をキメてやろうと思ったが、早くても6時に開くところがほとんどだったので、しばらくぼうっと陽が昇ってくる海を眺めていた。

時間も近付いてきたので、目的の温泉に向かって歩き出した。
開館したばかりの温泉に着き、道後温泉とはまた違う泉質の温泉で朝風呂をキメる。

温泉のスタッフの方にご飯が美味しいお店や面白い場所を尋ねる。
おばちゃんオススメのとり天屋さんと観光スポットである「地獄めぐり」でもしたらと教えてもらった。

駅で荷物をロッカーに預け、ホームで電車を待った。
電車が近付くと駅のアナウンスに違和感を覚えた。
別府の「ぷ」の長さが異様な長さなのだ。

「べっぷーーーーーー。べっぷーーーーーー。」

初めは駅員さんがふざけているのかと思ったが、自動音声のアナウンスでも同じような長さで笑ってしまった。
この「ぷ」の長さは一体何なんだろう。笑

めぐりめぐる地獄

地獄をめぐりに電車を降りて勇み足で歩き出した。
この日はとにかく歩きに歩いて歩き倒した。
地獄でスタッフのおじいさんにもオススメを訊き、ちょっと変わった郷土料理が食べれると紹介してもらった。

ただのスタッフだと思っていたら地獄めぐりの会長さんで、親切にもお店に電話を入れてくれた。

頂いたのは「やせうま」という大分の郷土料理で、きしめんのような平べったい小麦の麺にきな粉砂糖をまぶしたおやつのようなものである。
甘党できな粉好きの僕にとってはうれしい軽食になった。

そのあとも引き続き残りの地獄を巡り、ロープウェイで鶴見岳を登った。
そのうちのいくつかの写真をご覧ください。

鶴見岳から下りてくると心地よい疲労感が身体を包んだ。
温泉付きのゲストハウスでチェックインをして、駅に預けていたバックパックを部屋に置いた。

一息ついてから、朝の温泉で教えてもらったとり天屋さんへ。
夕食にはまだ早い、午後の営業を始めたばかりのお店に入りとり天定食や地の物を頼んだ。

とり天が出てきて、一口食べたらもうびっくり。
衣はサックサクでしっかりと下味をつけたジューシーな鶏もも肉。天ぷらなのに全然脂っこさを感じず、いくらでも食べれると思うくらいの軽さ。

すっかり大満足した僕は翌日の昼食もここの定食を食べてから別府を出ようと即決した。
実際に、次の昼にも同じ定食を食べ、再びおいしさに感激。

レジでお会計をする時「2日連続でありがとうございます」と店主さんに言われてほっこり。
「別府に来たときは必ず寄ります」と約束して別府を出た。

声で気付く

別府を出て、向かうは大分市。
大分市にも私設図書館があるので市街地へ向かった。

こちらの私設図書館でもお話を聞かせていただいた上、詳細は割愛しますがご厚意で大変よくしていただきました。
ありがとうございました。

何件もの私設図書館を訪れた経験を通して、一口に私設図書館と言っても、それぞれの想いや経緯、目的がある事を知った。

そして、毎回、行く先の私設図書館の人に良くしてもらった。
だから、こうして今まで与えられたご厚意を、いつか自分がやる時も同じように、自分なりに、来てくれた人に与えていけたらいいなと思った。

大分を出て、本当は広島の離島、大崎上島でご紹介していただいた宮崎県高千穂にある所へ行こうと思った。
しかし、タイミングが悪く、大分から宮崎県高千穂への高速バスが運休。

先方に事前連絡を入れてもらっていたため、今回は見送りさせてもらう旨を伝えて、祖母の家がある福岡へ向かった。

祖母の家の最寄駅の近くにあるドラッグストアに生活用品を買うために寄った。

店内に入ると、有線から聴きなれたあいみょんの声が聞こえた。
旅をしている間音楽は全然聴かなかったので、ひどく懐かしく感じたとともに、「このままではダメだ」と思った。

これまでずっとその日の予定も何も決めず、その時の流れと五感と直感(第六感と言えるかはわからない)に身を任せた生活をしていたことにより、自分でも気付かないうちに今までとは全く違う世界に足を踏み入れていた。

一緒の駅のホームで同じ電車を待っている人たちがいても、同じ世界に生きている気が全くしない感覚。行違う人たちの、同じ方向に同じ速度で歩いている人たちの、輪郭がぼやけているような感覚。

そんな感覚に今まで無意識のうちにどっぷりと陥っていたが、聴きなれた歌声を訊いた瞬間、一気に旅に出る前の世界に意識が引き戻された。
そして、なにが、どうしてダメかは全く分からないまま「このままではダメだ」と思った。

これは初めて体験した感覚で、自分でも咀嚼しきれていない。
だけど、この直感は何となく信じておいた方が良いように思った。

稚拙で雑な例えではあるが2つの世界があるとしよう。

1つは

旅をする前の世界=社会と強く結びついている世界

もう1つは

旅をしている時の世界=社会から距離を置き、野生的な感覚の世界

この2つの世界の真ん中に境界線があるとするなら、その境界線を跨ぐようにして、無意識にどちらかに行きすぎる事がないように、精神的な体重移動に気を付けなければならないと警告音が鳴った気がした。

つづく

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