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旅のはじまり

旅立ちの少し前

前回の記事「はじまりのはじまり」で旅に出る経緯などは書いたので、早速今回から旅の始まりについて書いていきます。

まず、どういうかたちで旅をしていくか。
海外を旅する際は最低でも同じ場所に1か月以上は滞在して、生活を地元の人たちと少しでも同じようにしながらいろいろな場所を周りたかったので、国内を周る際でも極力同じような形で周りたい!

しかし、自分の行きたかった国に比べて日本は物価が高いのでなかなか同じようにとはいかない。

理想は可能な限り出費を抑えながら周ること。欲を言えば、そんなにたくさん働きたくない。なにしろ二か月ほど有給休暇をとってのんびりしていたので、急にたくさん働きだすのはさぞかし身体に悪かろうと思ったのだ。

この様に自分の身体を慮ってやること、これぞ本当のご自愛という事かもしれない。(やかましい)

そして、今回選んだのはフリアコ(フリーアコモデーションの略)という方法。
知らない人の為に説明しておくと、フリアコというのはホテルやゲストハウスなどで住み込みで働いて、家賃や光熱費を浮かせながら生活する方法。

リゾートバイト等とは違って給料は発生しないが、その分働く時間も短いので自分の時間がしっかりと確保できるのが魅力的だ。
いざとなればリゾートバイトの様なもので稼ぎながら生活するのもありだが、とにかく最初は自分の時間を確保することが最優先事項。ご自愛万歳の精神である。

フリアコで国内を周ろうと決め、旅立ちの二か月以上も前から「ゲストハウス フリアコ」で検索して、フリアコスタッフを募集しているところを見ていた。

その中でも特に惹かれるところを発見した。宿やオーナーさんの雰囲気もかなり良くて(この時点では写真のみでの印象だったが、実際に間違っていなかった!)、なにより自分の趣味に時間が使えそうなものがそこにはあった。

しかし、実際に地元をいつ出れるかが確定していなかったので応募はしばらくお預け。それまでにもし募集がなくなっていたら縁がなかったと割り切って諦めようと思った。

それから旅立つ前にと友人と会う機会が増えた。そして、そのたびに友人に「ここに行きたいんだよねー」などと話しまくっていた。
ある友人と会った時をきっかけに「思い立ったが吉日だ」と急に意気込み、その日のうちに応募した。

結果は無事「採用」となり、この時自分の最初の旅先が決まった。

最初の旅先へ、いざ

そんな流れで最初の旅先として決まったのは岡山県玉野市。瀬戸内海が近く、日本地図で見てしまえば四国も目と鼻の先の場所。自分が国内で行かなければいけない場所の1つ、広島県もすぐ隣。

岡山と言えば桃太郎のイメージがあり「自分は鬼退治(空想上の鬼なんかではなく、現実世界にたくさんいる鬼をイメージ)に行くのだ」という、およそ周りからは理解されない気合いが入っていた。

出発当日、いざ岡山へ。
自分が岡山へ向かうのに使ったのは在来線。
新幹線や飛行機は使わず、特別快速や新快速などを乗り継ぎ、待ち時間を含めてたっぷり9時間ほど(自宅からの計算)かけていくことにした。
本当は高速バスで行きたかったのだが、コロナの影響で高速バスが運休になっていたので在来線を選んだ。

ちなみに、できるだけ遅い交通手段を使って行きたかったのは節約のためではない。
時間をかけて移動する事で、自分の身体にどれだけ長い距離を動いているのかを叩き込みたかったためである。

観光旅行など行くときには時間も限られているのでそんな非効率的な事はしないが、今回は住む場所を変えるという移動だ。
住む場所を変えるのにピュンと一瞬で移動して「はい、到着」というのもなんだか味気ない気がした。
だから、わざわざ最初の移動は公共交通機関の中でも極力遅い手段を使いたかったのだ。ある種、儀式的な移動として。

そして、その移動はとても楽しかった。
新幹線とは違って、地元の人たちが毎日の通勤や通学などの移動に使う在来線は、当然その地域に住んでいる人たちが乗る事が多い。

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地元の名古屋を出て、西へ向かうにつれて次第にイントネーションが変わっていく周りの人たちの言葉や車窓から見える景色、乗り換えのために降りた駅で食べるご当地の駅弁などを楽しみ、イヤホンなどせず五感を研ぎ澄ませながら移動した。
田舎の方に行くとニホンザルがいたりした。本やスマホばかりを見ていては絶対気付かなかったと思う。

眠くなってしまうかと思ったが幸い睡魔には襲われず、移動を最初から最後まで楽しむことができた。

新天地に到着

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こんな具合に大いに楽しみながらたっぷり時間をかけて新天地に着いたのはもう陽も沈みかけた頃。目的の駅に到着し、アップルウォッチを交通ICとして使用していた僕は意気揚々と改札に手首をかざした。

「ピンポーン、係員にお知らせください」

いけないいけない。
興奮のあまりきちんと改札にかざせていなかったのだろうと思い、もう一度ゆっくりと改札にかざした。

「ピンポーン、係員にお知らせください」

いやいや、なにかの間違いかもしれないし、三度目の正直という事もある。そう思ってもう一度かざしたが結果は同じ。仕方なく駅員さんに見てもらう事に。

なにやら機械を使って交通ICを読み取った駅員さん。
「名古屋から乗られたんですね?」
「はい」
「新幹線で来ましたか?」
「いえ、在来線で来ました」
「あ、岡山かどこかまで新幹線で、そのあと乗り換えを?」
「いえ、始めから在来線です」
「ずっと?」
「ずっとです」
「あー、そうですか。申し訳ないですけどね、200キロ以上移動すると通らないんですよ」

どうやら日本においての交通ICは、新幹線を使わずに電車で200キロ以上移動するためには作られていないようだ。

旅の初日からこんな事を学べるとは、なんと幸先のよいことか!
結局、駅員さんが操作し直し、無事に運賃を交通ICから引いて改札を通ることができた。

それからは問題なくフリアコ先のオーナーさんに会い、宿を案内してもらい荷物をほどいた。

初日は近くにある定食屋さんで晩御飯を済ませ(ここの魚定食が美味しかった!)、寝る前に同じところで住み込みで働いているスタッフと少し話をした。音楽の趣味が合う、なかなか面白そうな子で安心した。

旅の始まりとしては十分な出来栄えの一日だった。

この続きはまた次回!

読んでくださった方ありがとうございました。ぜひ、次回以降も読んでみてください!

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