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The Last of Us Part IIに見るポリコレのアレコレ

前々から感じてたけど、すっげえポリコレ配慮の嵐でちょっと笑っちゃうぐらいで。それが良いか悪いかってのは僕には判断できないので、16時間ぐらいしかプレイしてない時点で思ったことを纏めてみました。クリアしたら色々考えも変わるかも知れんけど。

多様性に配慮して雁字搦め

同性愛の主人公、バイセクシャルの彼女から始まって宗教から人種からありとあらゆる面から見られる「配慮しましたよ」感がスゴイ。嫌味ったらしいほど「ほ〜ら世界はこんなに多様性に満ちているでしょ〜?」みたいなアピールが次々と繰り出されて逆に感心するぐらい。

そもそもあそこまで荒廃した世界だと逆に人種で纏まって殺し合いしてそうな感じだけど、優しい配慮がリアルでありたい終末世界をぶち壊してるのは逆に興味深い。でもこれが第一線のゲーム業界の流れなんだろうな〜と思うと暗澹たる気持ちにもならんでもない…が、まぁ作家性の高いものではなく、あくまで娯楽なんだし、これはこういうものなんだな〜と思うしかないかな。

パンデミック社会で配慮されるアレコレ

現実に欧米でクソデカ社会実験が繰り広げられてる状態で、同じような荒廃パンデミック系のパニックアドベンチャーで配慮が見えるの、何がキツイかってゲーム内の世界に没入したいのに『開発側が丸見え』ってところなんですよね。チラチラ見えてるどころかガッツリ「配慮」って札を抱えて、そこら中にタチンボしてるみたいな感じで。
これは良いね、あれは良いね、じゃなくて、これは駄目だよね、これはやっちゃ不味いよね、みたいなネガティブ方向の提案がアホほど盛り込まれてる。そしてそれがスタンダードっていう。

ブラックパンサー党やらKKK団みたいなのがワンサと出てきてもいい世界だし、実際にそういうソサエティが存在する、しうる世界に触れて初めてプレイヤー側が「これは駄目だよね」「これはやっちゃ不味いよね」ってなる、思わせるのがポリコレ的な理想じゃないですか。大体コレCERO-Zでしょ。プレイヤー側全然信用されてねえw(そしてそれが正しい気もする)

荒廃したっぽい配慮だらけの世界で学べるのが「ああ、これは大人の事情ですね」という諦観なのは流石に辛い。

それらが面白くなさに繋がらないのはやっぱスゴイ

興がガリガリ削がれようが、それでも超絶な緊張感とエリーが曝される凄惨な旅に手を握るし、ジョエルとエリーのやり取りに一々涙が出る。ジョエルの存在の偉大さ、巨きな父性を感じる度に胸が痛む。やっぱりこのシリーズはそこら辺の、様々に断絶された父と子が築く関係や、その中で気づいたり培う夫々の価値をがっちり描いた作品は伊達じゃないなぁって思うんですよね。最高ですよ。

ちなみに待ちに待った挙げ句、ネタバレ回避のために情報をシャットアウトしすぎて発売日すら知らなかった。テヘヘ。


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