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ルワンダ初日

私がルワンダに着いたのは2010年3月。小学校を卒業してすぐのことだった。

父親が3ヶ月以上前に先に赴任してしまったため、母と、6歳と3ヶ月の妹2人の4人での引越しだった。
乗り換えはバンコクとケニア。母と私でベビーカーと4人分の荷物を分担してなんとかルワンダまで着いた。

預け荷物で1人2つ計8つの段ボールを父と父の同僚の方々に運んでもらって家についた。

ルワンダに着いた日は他のほとんどの日と同じようにとてもいい天気だったがカラッとしていて覚悟していたほどは暑くなかった。

ルワンダ・キガリ(首都)の標高は1,567メートル、千葉県民しかわからないかもしれないが筑波山の標高が877メートルなので筑波山の天辺よりも高いのである。
基本的に乾燥していて汗をかいてもすぐ乾くので快適だった。
気温は今の時期でも(年間を通して大して変わらないが)最高気温30度未満、最低気温19度前後で夜にはカーディガンを羽織りたくなるぐらいだった。夏の関東よりも断然過ごしやすい。

ルワンダの特徴のもう1つが丘の多さだ。

"ルワンダ"というのはルワンダ語で千の丘という意味で(確か)、とにかく丘が多くアップダウンが激しい。丘というのもルワンダ人にとっては丘だが私にしてみては小さな山々という感じだった。
学校の美術の授業で記憶に残っているのがルワンダの景色を色紙を使って表現するという回で、先生が「ルワンダの丘の上から向こうを見ると丘がいくつもの層になっていて奥に行けば行くほど空の色になるのよ」と言っていた。

今回見出しにつけさせていただいた写真はそのイメージに最も近いものである。

ルワンダを離れてから高校の校舎で友達と見た夕焼け、角館の桜、秋田の星空、ホーエンザルツブルク城から望む山々、マジックアワーのベネチアなど言葉では伝えきれないほど美しい景色を色々目にしたが、未だにキガリの朝靄に包まれた連なる丘に勝るものはない。

私たちの家は父の会社の近くの外国人が多く住むマンションだった。

私の知り合いにはそのマンション以外に"マンション"(アパート)に住んでいる人はいなくて知り合いや学校の友達はみんな一軒家に住んでいた。
日本でもマンションに住んでいたがこちらは桁違いに大きかった。

リビング、ダイニング、玄関付近を合わせた広さが(確か)高校の教室1つ分ほどあって、キッチン、広いマスターベッドルーム、小さめの寝室が3つ、ユニットバスが2つに物置部屋が1つあった。
私と妹が特に気に入ったのはベッドの上にある蚊帳でトトロでしか見たことがなかったのでお姫様のベッドみたい!と喜んでいた。(後々に大変面倒になってくる)

私の部屋はクローゼットとベッドと机の簡素な部屋で気に入ってはいたが、机は細すぎて参考書を見比べながら勉強ができないし、ベッドは途中でクイーンサイズからキングサイズ(?とにかく大きいやつ)にマンションの都合でアップグレードされ部屋を歩き回れなくなったため基本ベッドの上で勉強などをしていた。(この悪しき習慣のせいで今でも基本ベッドで生活している)

日本に帰国した時にはもともと住んでいた家がおもちゃのように感じてしまうほど大きい家だったがいくつか問題はあった。

一番はお湯のタンクの容量が少ない&水が汚いことで、次は網戸がない(又は破れている)こと、食器棚などが設計ミスなどで微妙に閉まらなかったりすることだった。

特に父は食器棚が閉まらないことに非常にイライラしていて機会をみてはヤスリでこすったり刃物で削ったりしていた。

このマンションで一番良かったことは停電や断水がほとんどなかったことだ。
学校では頻繁に友達が「うちは2週間断水してる」や「しばらく停電しているからキャンドルを使ってる」など話題にしていたがうちではマンションが緊急用の発電機を持っていたので2日以上停電することはなかった。

それでも記憶にある限り3回ほど夜まで停電していて隣人をうちに呼んでみんなでベランダで月を眺めていた記憶がある。(隣人は日本人の女性でとても仲良くしていただいていたので、妹と私で懐中電灯を手に迎えに行った)
数時間そうしていて電気がつくころには他の家の人もみんなベランダに出ていてみんなで歓声をあげた。

キガリで買い物をするときは大体スーパーマーケットか市場だった。

市場に車で着くと番号が付いた黄色のビブスを着た現地の人達がたくさん駆け寄って来て車を囲むので怖かった。彼らはお買い物を手伝ってくれる人でジャングルのような市場を案内して値段交渉をしたり荷物を持つ手伝いなどをしてくれる。とても優しいのだが、外国人だとチップが多いということで10人ほど集まって来てしまうので最初は怖かった。大抵はお買い物お手伝いを1人か2人にお願いし、買い物を終えて帰ってくると「車を見ていてあげたよ」と言う人がいるのでその人にもチップを渡すのが常だった。

車を見るのは頼んではいないのでちょっと騙された気もするが、見ていてもらわないとバックミラーを盗られたり、車に傷を付けられたりしてしまうので見ていてもらうのも大切だった。

こうしてルワンダでの(不便だけど、privileged な)生活がはじまった。