難しく考える
聖人ではないから自分のことがいちばんかわいい。いや、思うに聖人だって自分のことがいちばんかわいいのではないか。聖人だって悪人だって人間のくずだって誰だって自分のことがいちばんかわいくて、その次は自分が愛している人のことがかわいくて、その次は自分が愛している人が愛している人のことがかわいくて。そうやって枝分かれしていくなかで、どの枝のどの葉っぱまで愛せるかは人による。序列的にはあの枝のあの葉っぱとこの枝のこの葉っぱは同じやけど、この葉っぱのことは嫌いやし、あの葉っぱのほうを大事にする、ということを人は意識することなく常日頃、やってのけてしまう残酷な生き物である。
自分から順番に愛していったら自分から遠い場所には愛が行き渡らない。人間関係に悩み思い詰め列車に身を投げる人の内心を慮るよりも先に「この列車が止まったおかげで会社に遅刻してしまう、どうするねん」と自分の都合を考えてしまう。人のことを考える余裕なんぞ無いという人もいるし、一個人がいくら思い詰めていたところで公の利益に反することなど言語道断であると冷静に断じる人もいるけれど、どうしてそこまで思い詰めなければならなかったのか、ということを考えることに時間を割く人はなかなかいない。自分に当てはめてみて「あり得ない」「精神的に弱い」などと一方的に強いことを言うばかりである。他人事みたいに書いているけど、私だって自分の都合を第一に考えてしまう。どんな思いで身を投げたのか、なんて想像もつかない。でも、想像もつかないからといって考えもせず、ただ個人を攻撃するだけで終わってしまってはいけない。それは簡単なことだ。簡単であってはいけない。難しく考えなければいけない。
難しく考えすぎだよ〜と慰めるシーンをよく見かけるけど、実際の世界に目をやると簡単に済ませすぎの人のほうが多いと思う。もっと難しいことに挑戦しなければならない。例えば政治家の先生なら、支持者の言うことを聞くのは簡単だけど、支持していない人の言うことを聞くという難しいこともしてほしい。右とか左とか言うけど、いまはどちらの派も同じ方向ばかり向いているから互いがそっぽ向くことになってしまう。それは簡単なことをやっているということだ。もっと難しく考えてほしい。右の人が左を見て左の人が右を見て考えていけば、互いを思いやれるのではないか。昔はもっと誰もがそうやってやっていたように思うけど、それは幻想なのか、私の頭の中がお花畑なのか。
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難しく考えてばかりでは苦しいのでそんなときは著書『1人目の客』のアホさ加減を笑ってください。とってもかわいい1人目の客Tシャツもおすすめです。どちらもウェブショップ「暇書房」にて販売中。
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