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短編小説『泣き寝入り』

 俺は今、新幹線に乗っている。十三号車の一列め、三列席の窓際だ。東京駅では俺の隣の真ん中席もその隣の通路側の席も空いていた。品川駅でも誰も座らない。最後の砦、新横浜駅で誰も座ってこなければ京都への旅は実に快適なものとなるが、なかなかうまくはいかないものだ。新横浜駅で二つの席は埋まってしまった。元ラグビー部然とした、がっしり系の男が真ん中に足を広げて座る。左足が俺の席の領域に侵入している。抗議の意思を表明しないと既成事実化してしまうのは尖閣諸島や北方領土の問題と同じであるが、ここで声を上げれば俺が奇人扱いされるのが令和の日本だ。残念だが泣き寝入りをするしかない。それに男はワイヤレスイヤホンで耳を塞いでいるから俺が何を言ったところで何も聞こえない。思うに我が国の総理大臣もまるでワイヤレスイヤホンを装着しているかのごとく聞く耳を持たないが、あの人の言う「聞く力」というのは、イヤホンから流れてくる他人には聞かせられない利権や癒着の話を聞く力なのではないか。
 隣の男はハンディファンの風に当たりながらスマートフォンでゲームに興じている。近くで聞く機会がなかったから知らなかったがハンディファンは意外にうるさい。気になり出したら気になって仕方がない。そのうえ男はワイヤレスイヤホンをしているから声の音量がバグっており、さきほどから「ん、ん、ん」と喉を鳴らす音がやたらでかい。あのワイヤレスイヤホンを引きちぎって耳元で「その扇風機、うるさいから電源切ってもらえませんかね」と伝えたいが、ここで声を上げれば俺が奇人扱いされるのが令和の日本だ。残念だが泣き寝入りをするしかない。結局のところ、いかに傍若無人に振る舞うかが令和の日本では重要であり、そのように振る舞い得るために人は経済力や発信力、あるいは鈍感力などを育んでいるかのように見える。何かが間違っているよなと思いながら窓際に添って縮こまっている。

蠱惑暇(こわくいとま)

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