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犬も歩けば棒に当たる

 「何か物事をしようとする者は、それだけに何かと災難に会うことも多いものだ」「出歩けば思わぬ幸運に当たる」一見、正反対にも思える二つの意味があるコトワザがあります。コトワザのなかでも一二を争うくらい有名なやつ、「犬も歩けば棒に当たる」。つまり、棒を災難と捉えるか、それとも幸運と捉えるか、ということなんですが、こんな正反対の意味を一つのコトワザが含んでしまうと、解釈の仕方によって争いが起こりかねないのではないかしら。

 そういえば、あまりよくわかってはいないのですが、宗教も解釈の違いがもとでよく争っていますよね。古今東西あらゆる宗教から宗派が生まれてどっちが正統でどっちは異端でと何かと互いを貶めるというイメージ。聖書にしろ歎異抄にしろ、読んだことはありませんが、何かしら教えが記されてあり、その教えにどんな風に導かれるかは信者次第。なんやねん、それ、もっと解釈の挟まる余地がないくらい、はっきり書いてしまってくれよ、と思ったりもするんですが、いやいや待てよ。解釈の余地があることによって、教えというのは、どんな人であっても救えるようになっているのではないか。

 聖書にも歎異抄にもコーランにも、たぶん「犬も歩けば棒に当たる」なんて書いていないと思いますが、もし書いていたとして、「何か物事をしようとする者は、それだけに何かと災難に会うことも多いものだ」と捉える人も、「出歩けば思わぬ幸運に当たる」と捉える人も、どっちの人のことも気にかけてくれている優しい世界がそこにはあるはずなのに、その優しさが時に人を死に至らしめるほどの争いを生んでいるという、この悲しさ。

 令和の聖人こと我らが大谷翔平さんが「僕には座右の銘はありません。何か一つ、座右の銘にしてしまったらそれに反する考え方を否定することになってしまう」と言っていました。
 犬に当たる棒も、災難だったり幸運だったりする世界がいい。

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