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いちばん悪いのは

 数日前の新聞にとても面白い記事があったんだけど、いま、手元にその新聞がない。という場合に「そうだ、ネットで検索すれば同じ記事を読めるんじゃないか」と検索してみると、すぐに見つかるのだが、有料記事ゆえ、冒頭しか読めないということがよくある。仕方ないこととはいえ、その新聞のことを嫌いになりそうになる。金も払ってないくせに記事を読めると思ってるんじゃないよバカヤローというのが新聞側の理屈であり、その理屈は100%正しい。

 今もまさにそれが起こっており、書きたいことがあるのだが、その記事の内容を引用しつつ書きたいものなので、いたしかたない、数日後に改めて書くことにする。

 京都駅で東京行きの新幹線の到着を待っている。切符を買って準備しているので乗り遅れたらいろいろ厄介である。小心者なので20分前までには駅でスタンバイしておきたい。この20分は果たして「無駄」なのだろうか。近頃はあらゆる「余白」が「無駄」だと断じられてしまう。電車の到着を待つ時間さえ無駄だと言われかねない。出発時間と同時にホームに現れ、一度も立ち止まることなく新幹線に乗車する、なんてことが実際問題可能なんだろうか。それが合理的な動き方なのだとして、ちょうどそのようになるためにどこかで帳尻合わせをする時間がどうしても発生すると思うのだが、その時間は無駄ではないのだろうか。いい調子でちょうどの時間に乗車できるよう動いていたのに予期せぬ腹痛に見舞われたらどう対処するのだろうか。

 という風に、ありもしない世界を勝手に作り上げたうえでその世界の理不尽さを心配したり非難したりすることが私にはよくある。悪い癖だと思う。対人関係についてもそうで、他人の人格を勝手に作り上げて勝手に腹を立てたりしてしまう。いざ実際にその人と話してみると、意外と思ってたほど悪い人ではなかったりする。どう考えてもいちばん悪いのは私なのである。困ったものだ。

 観に行きたいと思っていた展覧会の会期が終わっていることに気づいた。新幹線ならこんなことは絶対に起こらないのに展覧会では何故起こってしまうのか、といえば、答えは簡単で、予約をしていないからである。チケットを前売りで購入したうえで日時指定されてあればこんなことは絶対に起こらない。しかもそれは自分で買っていないといけない。今回私はせっかくご好意でとある方からチケットをいただいていたのに観に行くのを忘れてしまった。一つずつ思いつくままに書いていくうちにわかったが、やはりどう考えてもいちばん悪いのは私なのであった。

いちばん悪いのは青空の下、背中を丸めながら
スマートフォンを触る私です



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