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1人目の客になれた話 烏丸六角編

 趣味はオープンしたお店の1人目の客になることです。職場の近くに居酒屋がオープンすることを知ったのが数日前。ロケーションは抜群だがオープンは17時。普段の木曜日、私は16時30分くらいまで収録をしているから、いくら職場の近くのお店とはいえ、どれだけ急いでもオープン20分前にしか店頭に到着することはできない。時を巻き戻すことはできないのだ。ましてや令和の現代、時はもはや「巻き戻す」ものではない。「巻き」って何なの?何を「巻く」の?

 業界的には「巻き」というのは「進行を急ぎで進める」ことである。今日の収録は「巻き」で進行した。いつも16時30分に終える収録である。巻きで収録すれば16時過ぎには終えられるかもしれない。そうなれば烏丸六角に16時20分には辿り着けるかもしれない。
 これまでの経験により、たいていの店はオープン40分前に着けば1人目の客になれることを知っている。40分前は「安全地帯」であるが、それを過ぎると途端に玉置浩二の素行程度には危険になってしまう。それをいかに安全地帯へ近づけるか、が今日の収録のテーマであった。

 わけがない!
 収録は収録として、しっかりと行ったうえで、もし間に合えば1人目の客も狙う、というのが順序である。順序は守らなければならない。社会人として絶対に守らなければならないもの、それが時間、締め切り、順序である。
 故に私は正直にDJさんに打ち明けることにした。「今日は1人目の客になりたいので段取りよく収録しましょう」
 私の趣味に理解あるDJさんゆえ、ご快諾いただき、スムーズに収録が進んだわけなのだが、こういう時に限って何かしら起こるのか常である。ユーミンも歌っているではないか、どうしてなの今日に限って安いサンダル履いてたと。
 今日の私の安いサンダルは急遽入った別の収録であった。ほんの一言、別のDJさんの声を収録するだけなのだが、この収録のおかげで、せっかく巻いた分がフラットになってしまった。

 結果、16時30分に四条烏丸にある職場を出ることになった私は、四条通りから六角通りを全力疾走した。四条通りを北へ渡る信号がジャストのタイミングで青になり、それを合図にスタートした私は、かつて高校時代、50m5秒9で駆け抜けたあの健脚を久々に披露した。錆び付いていた。意識に足がついていかない。夢が夢だとわかったとき、夢の中で好き放題してやろうとするも足が思うように動かない、あの夢の中みたいに足が動いてくれない。
 四条通りからだと六角通りは錦小路通りと蛸薬師通りを挟んだ三本目の通りである。すぐそこと思っていたが全力疾走するには遠い。まして、錆び付いた私の老脚では短距離走ではなくマラソンに近い。信号ごとに息を整え小休止しようと思っていたのに今日に限って全く信号につかまらない。こんなところにも安いサンダルが待ち受けていた。
 全力疾走をあきらめた私は中学のマラソン大会以来、息を吸って吸って吐く「ひっひっふー」呼吸にして四条烏丸〜烏丸六角間421.96m耐久マラソンを駆けた。マラソンを駆けるって使い方合ってるのかわからないが、もうそんなことを気にしている余裕はなかった。

 花市商店のお花の匂いに立ち止まることなく烏丸六角交差点を右折する。左つまり北にある六角堂の柳には縁結びのご利益があるらしいが、私の縁結びを成就させたことにより誰かの縁結びを妨害するということもあり得るのではないか、そういうときにどうやってこの柳は帳尻を合わせてきたのか、ということを考えてみるが答えは見つからない。見つけようと思っていないんだから仕方がない。いま私は1人目の客になることしか考えていない。

 六角堂の向かい側、息を切らせて辿り着いたお店の前には新店開店を祝う花輪が何輪か置いてあるが客らしき人は誰もいない。走りやすいスニーカーを履いていてよかった。安いサンダルを履いていたら間に合わなかったかもしれない。

 店長なのかオーナーなのかCEOなのかわからないが、「できる」風のお兄さんが出てきたので「17時ですよね、待たせてもらっていいですか?1人目の客になるのが趣味なんです」と捲し立てると「おー、オープンマニアですか、ありがとうございます」と返され、そういう言い方があるのだとすれば私以外にもそのオープンマニアなる者たちがいるのか、と戦慄する。所詮井の中の蛙として活動していた私である。広い世界にはそんな私を包括してしまうほどの大きな勢力として「オープンマニア」が存在しているのかもしれない。武者震いする。

 「一番目のお客様にお待ちいただいてます」とお店の中のスタッフたちに告げる「できる」風のお兄さん。ありがとう、いまから私はあなたの「風の」を取り払い、「できるお兄さん」と紹介することにする。
 オープン前からちゃんと私を客扱いしてくれる店は繁盛する。エビデンスはない。しかし、残念なことに私の「1人目の客」Tシャツについては触れてくれない。どちらかというと私もそういうタイプである。髪切った?だとか、指輪してる、だとか、バンドTシャツのことだとか、まったく気づかないタイプ。「できる」からといってそれらに気づくわけではないのは、私が「できる」おっさんであることからも明らかなのである。てへぺろ。

 いざ、オープン。「できる」お兄さんではない、別のお兄さんが暖簾をかかげ、「準備中」の看板を裏返し「営業中」にしたのがジャスト17時。無事1人目の客として入店する。かかげられてまもない暖簾をくぐり抜ける心地よさは何にも代え難い。

 令和6年4月25日17時、烏丸六角東入ルにオープンした「串焼き満天六角編」の1人目の客は私です。
 件の「できる」お兄さんに1人目の客記念に写真を撮ってもらったが、やはり1人目の客Tシャツについて言及はなかった。私もそういうタイプです。

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