昨日の後悔
昨日は山崎ナオコーラさんと石山寺座主の鷲尾龍華さんの対談を聞きに京都新聞社へ行ってきました。ナオコーラさんの書かれた『ミライの源氏物語』にすっかりやられてしまった私はこの対談をとても楽しみにしていました。
鷲尾さんとナオコーラさんはこの日が初対面!で、おそらくさすがに本番前に少しくらいはコミュニケーションを取られていたと思いますが、それでいきなり、あんなにたくさんの聴衆の前で話をするというのは、考えようによってはえげつない無茶ぶりやと思うのですが、お二人ともお互いに気を遣いながら、言葉を吟味しながらお話されている様子が大変微笑ましく、言葉をなりわいにされている方であるのだなーと密かに感激しておりました。
ナオコーラさんは学生時代、平安文学を研究されていて、当時、やはり『源氏物語』の研究者の間でも、浮舟は薫と匂宮を二股にかけているという解釈や、女三の宮についてもだらしない女というような解釈がなされていたらしい。
『ミライの源氏物語』にも書かれていますが、しかし、どう考えても女三の宮は性暴力の被害者であるし、御簾を猫が開けちゃったことがそんなに悪いことなの?という疑問は消えない。浮舟にしても、積極的に二股をかけていたようには見受けられません。というような見解を、たぶん「権威」的な研究者のおじさんたちが多いであろう業界で発していくことそれ自体にも大変なご苦労があるのではないか、と思いました。
これも昨日、面白かった話なのですが、光源氏にしろ、薫にしろ、「誰かと似ている」ことで女性を好きになるケースがとても多いんですよね。でも、それって本当の自分を愛してくれているとはいえないんじゃないか、という女性の側の苦悩があり、本当の自分を探し求め、それを見つめるためには出家するしかないのではないか、というようなことをおっしゃられていたのが印象に残りました。そのくだりは我々聴衆のなかの一人の女性の質問から発せられたものだったのですが、この女性に限らず、質問された聴衆の皆さんの質問はそのどれもが芯を突いているというのか、面白い質問ばかりで、ナオコーラさんも鷲尾さんも、その面白い質問によって新しい発想に思い至ったというような表情をされている場面があったりもして、文学というのは、このように作者と読者が交錯してどんどん育まれていくものなのであるなーと密かに感激しておりました。
対談終了後、昂揚した気分のまま、サイン会に参列した私は、自分の番になり、ナオコーラさんが「すてきなTシャツですね」と着ていた1人目の客Tシャツについて褒めてくださったことに舞い上がってしまい、サインをしていただいている間、ずっとこちらの趣味の話をしてしまい、調子に乗って、『1人目の客』の本も「よかったら読んでください」と言ってお渡ししてしまったことを今日は朝からずっと後悔しています。ナオコーラさんにとって昨晩の対談はそんな場ではなかったし、私にしたって、ただただ楽しませていただいた対談だのに、自分の本を渡すことが目的で聞きにきたみたいになってしまったんじゃないか、と、大変恥ずかしくなってきております。ナオコーラさんがこのnoteをお読みになることは無いと思いますが、その一点については、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もし次にお会いすることがあったなら、たぶんその時、私は何かしらの書き手としてナオコーラさんと対面しているはずなので、その際に昨晩の非礼を詫びようと決めました。そのためにも、何かしらの書き手になるため、精進せねばなりません。失敗をただの失敗で終わらせないようにできるのは私だけなのですから。
#日記 #コラム #エッセイ
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そんな昨日、手渡ししてしまった書籍『1人目の客』と素敵なTシャツと言っていただけた1人目の客Tシャツはネットショップ「暇書房」りでお買い求めいただけます。
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