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年賀状マウントと今年の漢字

 年賀状マウントという言葉をはじめて知る。海外旅行や我が子の写真を年賀状にプリントして送ると、悪気はなくても自慢やマウントと受け止められかねないということらしい。これについて賛否様々でいろんな人がいろんな意見を述べておりますが、これって私、思うに、以前は口にすることさえ憚られてきた心の声を表に出すことができるようになってきたっていうことなんですよね。きっと。

 ずっと我慢してモヤモヤしてきたことなんやけど、こういうのってもう我慢しなくてもええんと違う?ってことで軽くSNSにアップしてみたところ、意外と同じこと考えてる人が多くて共感の輪が広がった、ってことなのかどうかはわかりませんけど、なんにせよ、少数派の戯言と片付けられてしまっていた声がちゃんと大きな叫びとなって世の中に発信されるようになったというのは実に大きなことなのではないかしら。

 私もこの時代に甘えて、この数年、ずっと我慢してきたことを少しずつ恥ずかしながらここに書いたり人に伝えたりしています。本当にたいしたことではないんですけど、自転車のタイヤに空気入れるとき、いつ破裂するかと思うとドキドキして変な汗が出まくるとか、ギターの弦をチューニングでギュッてしめるときにも同じように、いつ「ブチっ」てちぎれやしないか気になってしまうとか、そういうのって前まで言えなかったんですよね。そういう声に出せなかった世の中の大多数がわかってくれなさそうな悩みに対して、いまだに「しょーもない」とか「小さいこと言うてんなー」とか「なんでもかんでもマウントマウントって」とか、そうやって強者の理屈でねじ伏せようとする人もまだまだ多いですけれども、少なくとも、発信できるようになったっていうのは、確実に大きな進歩なんではないかと、年賀状マウントの一件を読んで思った次第でございます。

 そんな時代に今年一年を漢字一字で振り返るっていうのは、これまた「個人」を消し去らないまでも激しく薄めてしまいそうな企画であり、もうやめちまってもいいんじゃないのかな、と思うわけで、そうでなくても、「戦」なんて漢字を今年の漢字に選んでる場合では無いんじゃないか、それこそ、どこか戦を他人事に捉えているような気がしてイヤなんですが、それでも私は「安」が選ばれなくてよかったなーとは思うのです。

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