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短編小説『みつくにさん』

 大将、もうええ加減、みつくにさんだけ特別扱いするのはやめにしませんか。他のお客さんからもクレームが来てますし、僕らもどうやって言い訳したらええかわかりませんねん。いや、言い訳っていうのは言い方悪いかもしれませんけど、そやけど、僕ら、やっぱり後ろめたさがあるんです。

 辰巳は反論ができずにいた。みつくにさんというのは辰巳の父の代からの常連客なのだが、客といっていいのかどうか。なにしろ子供の頃から閉店間際にやってきて、その日売れ残った刺身や煮付け、天ぷらなどを持ち帰り続けているのだ。辰巳の父は、まだ子供だったみつくにさんが可愛らしくて、どうせ売れ残りだからと、みつくにさんにサービスをしていたのだが、みつくにさんが大人になってからもそれが続いており、確か辰巳の三歳年上だから、みつくにさんは今年四十五歳になる。
 加えて、お店は一度、テレビで紹介してもらって以来、ありがたいことに繁盛しており、日によっては売れ残りが出ないこともあるのだが、そんな日に辰巳は、みつくにさんに持って帰ってもらう分を取り置きしている。スタッフが意見してくるのはまさにその点であり、一般のお客さんが決して安くないお金を支払っているのに、みつくにさんだけどうして特別扱いなのか、というのは、至極真っ当な意見なのだ。スタッフが他のお客さんからのクレームを笑って誤魔化しながら受け流してきたように、スタッフからの意見を辰巳は笑って誤魔化してきた。しかし、SNSにまで書かれてしまうとこれはどうしようもない。

 みつくにさん、ほんまに堪忍なんやけど、今日からはもう、売れ残りを持って帰ってもらうことはでけへんねん。ごめんな。

 一瞬、驚いたような表情を見せたみつくにさんだったが、何も言わずに帰っていった。よれよれの白シャツ、背中が小さくみえた。一週間後、みつくにさんは、誰に看取られることなく、アパートで孤独死していた。

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