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小説『国語がお得意な秋津ゆきこ、彼女小6の日記』4月11日(月)

4月11日(月)

 春休みが好きだ。冬休みは短すぎるし何より寒い。夏休みは長すぎるから二学期のはじめが憂鬱になる。何より暑い。春休みは暑くもないし寒くもないし、長すぎず短すぎず、おばあちゃんのよく使う言葉を使わせてもらうならちょうどいい塩梅なのだ。塩梅の梅も春の花だ。シーズンは過ぎてしまったけど匂いたつ梅の花のことも好きだ。菅原道真がこよなく愛したというのも頷ける。みんな好きだった梅の花を道真さんも好きだったってだけなんだろう。YOASOBIが好きだったって感じなんじゃないのかな。あんな偉い人でもYOASOBIとか聴くんだーっていう親近感?わからんけど梅が好きって結構そういうことだったんじゃないかって思ってる。どうせもう少し後の時代に生きてたら桜が好きだとかぬかしているに違いない。意外とミーハーだったんじゃないかな道真。

 東風が吹いて匂いおこしてる春休みがはじまって終わる頃には知らないうちに学年が一つ上がってる。その感じも春休みはちょうどいい塩梅だ。幸いあたしは花粉症に縁がない。花粉症の人たちは不当に苦しい思いをしていることをなんとか正当化したいがために自分たちは花粉症の無い人たちに比べるとデリケートで人間らしさが優れているという落とし所でなんとかその不当さを納得させようとしているけれど、そんな落とし所を探しては花粉症の無いあたしたちを貶めるような人間のどこがデリケートで人間らしさが優れているというのだろうか。

 何にせよ、何か新しいことが始まるのが春でよかった。あんまり寒すぎると無駄に助走を長くしないととてもじゃないけど始められないし、暑すぎたらそれはそれでやる気なんか起きない。コロナが流行りはじめた頃にあべちゃんがいきなり一斉休校してどや顔してた頃、秋入学が検討されかかって夏目漱石の『三四郎』は九州から上京してきた男が秋入学で大学に入る話だとか聞いたからどんなもんだろうかとわざわざ買って読んでみたけど読んだところで「だから何」という感想しかなく、小説そのものは面白かったけど秋入学について新しい知見が得られるなんてことはなかったってことです。一つ確かなことはといえば、『三四郎』の時代にせよ、海外諸国にせよ、春入学で無いところでは秋入学なのだ。何か新しいことを始めるタイミングは春か秋の二択であり、暑すぎる夏と寒すぎる冬はいつだって途中経過にして誤魔化されている。そうでもしないと腰を据えてあいつらに向かい合うなんてこと、やる必要があるかしら。いずくんぞあらんや。いずくんぞ、いずくんぞ豈に。アニーマイラブ。

 かくしてあたしはこの春、小学6年生になりました。5年の時に仲の良かった坂口さんと田村さんも同じクラス、っていうか、こないだまで5年だったのにもう「5年の時に」なんていう言い方をするのがなんとなくすかした感じでカッコ悪いし浮ついてるしで情けない。

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