見出し画像

聳り立つとか聳えるとか

 京都に住んでいると聳り立つとか聳えるといった高い建物に出合う機会が少ない。あまり詳しくないのだが、京都市内は条例により高さ何m以上の建物は建ててはいけないことになっている。京都タワーはその高さより高いのであるが、あれは確か、「建物ではない」というよくわからない理屈で条例をくぐり抜けているはずである。同じく、どういう理屈でかは忘れたが、烏丸丸太町あたりにある京都新聞社のビルも条例で定められているよりも高い建物で、最上階にある食堂からは大文字山が実にくっきりと、どの建物に邪魔されることなく眺めることができるのであるが、少なからず老朽化が進んでおり、今後建て直すことになれば、その時には条例を遵守すべく高さを抑えることになるため、何に邪魔されることなく大文字山を眺めることができるのは今の建物が存命の間だけらしい、と誰かから聞いた。それなりに真実味のある話であった。

 高い建物に免疫ができていない京都住まいの私は新宿で歌舞伎町タワーを見上げるたびに「聳り立つ」「聳える」という言葉を頭に浮かべる。隣のアパホテルも十分高い。このアパホテルは屋上に浴場があり、露天風呂の天井がガラス張りになっており、歌舞伎町タワーのてっぺん付近を眺めることができる。時間によってはがら空きの貸切状態であるため、その壮観を独占できる。いくら音程を外しても誰も聴いてはいないから思う存分熱唱できる。

こんなに高い建物は京都市内にはない



 私も男である。男であることを免罪符にしてはいけないとは思うし、男であるからといってそういう人間ばかりではないと思うが、私という男は下ネタが好きである。昔から酒を呑めば猥談を好み、面白いと思ってそういう話を披露するも、翌日に「◯◯ちゃん、君のこと好きだったのにショックだって言ってたよ」などと告げられる、ということを繰り返し繰り返し大人になった人生である。そうやって何人かの私を好きな人を幻滅させたことを反省し、不惑を超えて今四十四歳。時代も変わった。猥談は私が若かった頃と比べても、もはや「面白いもの」ではなくなってしまっている。若かりし頃、数多の失敗を経ておいてよかったのだと思う。それでもいまだに自主企画のイベントでは、そういうことをネタにしたりもするのだが、自分なりにそこには「一周回っている」自覚があるのでよしとしている。この感覚は大事にしなければならない。
 そうやって自分をアップデートし続けているつもりでも、どうしても歌舞伎町タワーが「聳り立つ」「聳えて」いるのを目の当たりにすると、そちらのほうに思考が寄せられていく。本当はもっと露骨に官能小説的にそれを表現しようと思ったのだが控えることにした。それはそれでどうやねん、という気がしないでもなく、私が好んで読んでいる「文學界」の小説のなかにだって今もそういう描写はあるわけだから、要はそういう描写をどういう風に扱っているのか、が重要なんである。

大好きな文學界。
5月号は市川沙央さんの筆力に圧倒された



 情けないかな、聳り立つ歌舞伎町タワーを見上げながら考えるのはその程度のことである。
 いつものように喫茶ルノワールでウインナーコーヒーのアイスを注文したところ、間違ってホットが出てきてしまった。アイスだったんだけどな、まあ、いいですいいです、と店員さんに告げる。いいんなら別に告げなくてもよかったんじゃないのか、間違いを指摘しつつそれを許容することによって相手に罪の意識を植え付けたうえに己の寛容さまで見せつける、という大人気ない行為に後ほど嫌気がさした。
 カップで出されたホットのウインナーコーヒーを眺めていると、いつもの背高でスマートなアイスのグラスが懐かしくなり、脳内でアイスのウインナーコーヒーの佇まいと歌舞伎町タワーがリンクした。

聳り立つアイスコーヒーが欲しかったんだよ

#note日記 #日記 #コラム #エッセイ
#蠱惑暇 #こわくいとま
#新宿 #歌舞伎町

趣味はオープンしたお店の1人目の客になることです。著書『1人目の客』は是非ウェブショップ「暇書房」にてお買い求めください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?