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小さな世界の小さな正解

 昨日の夕方時分だったか、近所のリカーマウンテンでお酒を買い、自転車で自宅へ帰るところ、信号が青になったので向こう岸に渡ろうとしたら、自転車でおじいちゃんが横切ってきた。おじいちゃんの側の信号はもちろん赤である。私が渡ろうとした方の道路は狭くて車が通ることが滅多にないから、おじいちゃんからしてみたら信号なんてあって無いようなものなのかもしれないが、現に私は渡ろうとしているわけであり、どちらが渡る番かといえば、明らかに私が渡る番なのであるが、お構いなしに私を遮り、横切ろうとするおじいちゃんのことがなんとも腹立たしくなり、すれ違いざま、「おいおい、何考えてんねん」と異議を申し立てたところ、そのおじいちゃんは「どっちがじゃぼけが」と返しながら唾を吐いて向こうへ消えていった。

 誰の何が悪いのか、といえば、これはもう、私がついつい「おいおい、何考えてんねん」と声を発してしまったことである。
 あの手のおじいちゃんを自分の発言で変えようと思ってしまった、その私の思い上がりによって私は気分を害してしまったのだ。たまたま、あのおじいちゃんの人生と私の人生があの交差点で交差しただけであるのに、あのおじいちゃんが長年育んできたあのおじいちゃんなりのモラルを私なんぞがどうにかできると思ってしまったことを反省した。

 信号が赤であろうと、そこを渡ろうとする自転車があろうと、俺が渡るんだからおまえが避けるのが当然なんだ、というのがあのおじいちゃんのルールなのである。もちろん理解はできないが、世の中にあるもの全てを理解のうちに置いておけるほど世の中は狭くない。海外旅行に行かずとも近所の交差点で世界の広さを感じることができたのは僥倖といえるのではないか。

 いま、これを書いている定食屋では、隣のおじさんが豚の生姜焼き定食を口をくちゃくちゃさせながら食べていて激しく気分が悪いのだが、このおじさんも、くちゃくちゃさせて食べることによって不快になる人がいるなどと思いもよらない世界を生きているのだ。高級料亭に行かずとも、こんな大衆食堂でさえ、世界の広さを感じることができる。自分の正解なんぞは、自分の住んでいる世界なんぞは、実に小さいのだと思い知る。いつ、いかなるときも、この小さな世界の小さな正解からなんとかして抜け出そうとすることを「謙虚」というのではないか。謙虚に生きよう。

本文と関係ないけど本日著書『1人目の客』
1冊ご購入いただきました❤️

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