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年中行事だらけ
6月30日は厳密には一年の折り返しではないのですが(確か7月2日がちょうど一年の半分だったはず)一年を十二ヶ月に分けたとき、その半分が終わるのは6月30日なので、こっちのほうがわかりやすいからこっちのほうを一年の折り返しと捉える文化が定着しています。
茅の輪をくぐり、水無月を食べ、上半期の厄を祓います。茅の輪のことも水無月のことも昔、由来なんぞを調べたことがありましたが、それをここに書くためには改めて調べ直さないといけないくらい脳のどこかに追いやられてしまっています。
他道府県のことは知りませんが、京都は季節ごとの行事が多いように思う。
6月30日は茅の輪と水無月、7月は祇園祭があり、下旬には下鴨神社の御手洗祭りがある。8月は送り火、あとはなんだ。まあ、いろいろある。一度行事に参加したが最後、翌年以降もそれに参加し続けないことには厄に取り憑かれ続けるような気がして、以降はなんやかんや、ずっと参加し続けるというのが年中行事というやつで、たまたま行かなかった年に災いがやってこようもんなら「今年は行かなかったからこんなことになった」と激しく後悔することになる。
しかし、実際のところ、年中行事に行こうが行くまいが災いはやってくるときはやってくる。それでも行っておけば、「行っていたおかげでこの程度の災いで済んだ。行ってなかったらもっとひどかったかもしれん、神様のおかげです、ありがとう」と納得させることができる。「行かなかったからこんなことになった」と自分を責めるのとは大違いです。災いを神様やその他もろもろのせいにできるか、自分に責任を負わしてしまうのかの違いはけっこう大きいと思う。
大河ドラマの「光る君へ」でも先週は都に災い(鴨川の氾濫)が起こりました。昔は今よりもずっと命が危険に晒される災いが多かったでしょうし、都が戦の舞台となることもありました。為政者が代わるたび、下に仕える者から庶民にいたるまでの暮らしに今よりも影響が出たでしょう。自分ではどうにもできないことが多々巻き起こるなか、いかにそれらを「自分の責任」から切り離すことができるか、というのは日々を過ごすうえで非常に大事だったのではないか、だから京都では、災いを神様その他もろもろのせいに転嫁できるよう、年中行事が多いのではないか。というようなことを考えながら、雨の中、茅の輪をくぐりに行こうか行くまいか、自宅にて思案したがらこれを書いている次第でございます。
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四条烏丸は既に少しばかり
祇園祭仕様になっております
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