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読書の記録 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

 コペル君は背が小さくて成績優秀、いたずら好きの中学二年。少年から大人へ成長する過程にあるコペル君は、家族や友人たちとの交流を通じていろんな発見をしたり、傷ついたり、魂を揺さぶられたりします。青春ですな。

 その青春が眩しくて私はすっかり中学二年のコペル君に自分を投影させて読んでしまった。コペル君が信頼を寄せる叔父さんのほうが年齢的には近いにもかかわらず。叔父さんは、ノートに書いた文章でコペル君に生きるヒントを与えたりするんですが、齢43の私、いまだにどこぞの叔父さんにそうやって指針を見せてもらいたいとふわふわふわふわしながら、それでもコペル君のように自分で答えを見つけ出そうともがいております。

 私くらいの年齢になりますと、コペル君の青春を目の当たりにしますと、ああ、はいはい、そういうお年頃なのね、と余裕綽々で見下してみたり、叔父さんのノートの内容に関しても「説教くさい」とか「理想主義すぎる」なんていう感想を抱いてしまいがちな気がするのですが(実際、私の身の回りにはそういうことを言いそうな人がめちゃくちゃ多い)、いっぽうで、その人たちは、誰も求めていないのに誰かの叔父さんになり、誰も求めていない教訓を垂れたりするんです。信頼で結ばれていないコペル君に格好だけ叔父さんになろうとする厄介な大人がいるんです。私もそうならないように気をつけなければなりません。

 もう一つ、私が気をつけなければならないのは、この歳(43歳)でいまだにコペル君でい続けようとしてしまうことであり、これはこれでいかがなものなのか。私は今なお、青春を生きていて、これから「私はどう生きるか」を真剣に考えている最中なんですが、周りは私をそんな風に見ない。「いい大人」やのにあの人、厨二病みたい。なんてことになってしまう。しかし、いい大人が厨二病で何がいけないんだろうという開き直った気持ちも私にはある。四十にして惑わずなんて嘘です。43歳、いまだ惑いっぱなし。

 でも、私、思うんです。不惑な大人より、ずっと惑っている大人のほうが断然カッコいいんです。そんな私もいつか、叔父さんの視点で『君たちはどう生きるか』を読むかもしれませんけど、ずっとコペル君のようでありたいとも思います。わかったようなふりをして、他人の生き方を冷笑する、できあがった大人になりませんように。私はそうやって生きていく。

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