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エッセイ『えびアボカド天』

 回転寿司の「はま寿司」で今日、妻がえびとアボカドをカラッと揚げたようなのが乗ってるやつ(正式名称がわからないので便宜上えびアボカド天としておく)を注文しており「おっ」と思った。僕がこれまで注文したことのないタイプのお寿司だ。
 生まれた頃からインターネットが利用可能であった最初の世代をZ世代と呼ぶらしいが、彼らは生まれた頃から回転寿司が当たり前の世代でもある。古くは単に祭りといえば葵祭を指したように彼らにとって単に寿司といえば回転寿司を指す。ゆえに彼らはカリフォルニアロールやハンバーグ乗せなどの寿司について「邪道だ」などという発想がはなから無いし、うちの次男なんぞは「寿司屋さんでラーメンが食べたい」などと平気で提案する。彼らにとっては回転寿司屋で何を注文しようが何の問題もないのであるが、私たち回らない寿司屋を知っている世代はそうもいかず「あんなものは寿司じゃない」と誰に対しての何の主張かよくわからない主張でもってアイデンティティを保っている。
 そこにきて、えびアボカド天を注文した妻である。回転寿司ユーザーとして妻は一つレベルが上がったのだ。レベルが上がると選択肢が増える。それは人生が豊かになるということだ。回転寿司というエンターテイメント空間の入口で「あんなものは寿司じゃない」と気張っている、あるいは気取っている人間と、えびアボカド天を逡巡なく注文できる人間と、果たしてどちらのほうが精神的に豊かだろうか。
 北大路魯山人みたいな傑物は特別なんだろうけど、我々は魯山人ではないんだから世界の入口で「あんなものは云々」というよりもその世界に飛び込んでしまうほうが、仮にそれが失敗だったとしても、その失敗という経験値が人生を豊かにしてくれる。
 私も妻を真似てレベルアップを試みたのだが無理だったからせめて、えびアボカド天を注文した妻に「おっ」と思った、この感情を大切にしたいのだ。

蠱惑暇(こわくいとま)

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