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なぜ孫正義は坂本龍馬に魅了されるのか?


言わずと知れた幕末の風雲児、坂本龍馬
その龍馬の生き様を調べるうちに、わたしも魅了されてしまった。あの人のように。



世に生を得るは事を成すにあり


SoftBankグループの孫正義会長が起業を目指すきっかけとなり、
新卒採用ページにも龍馬の言葉がかかれています。

では、彼が生きている間に何を成し遂げたのかを見ていきます

人間、数あるなかには天の教えを受ける勘を備えているものがある
~19歳の春~

龍馬はいじめられっこの弱虫でしたが、実は商人の息子、ボンボンでした。


そんな彼は19歳で、剣術を学ぶために江戸へ向かいます。

江戸について二ヶ月。

そんな時に現れたのがあの『黒船』です。

竜馬は衝撃を受けます。
「なんだあれは?あんなものに日本は勝てるのか?」


それは、日本にとっても衝撃でした。

事実、日本はなんの抵抗もなく、不平等条約を受け入れるのです。

「このままではいけない。」
龍馬は、外国の文化を学びます。

当時、蘭学という西洋の医術を学ぶものは多かった。しかし龍馬は、政治や思想を学ぶのです。
(このときに出会った河田小竜は、アメリカで生活したジョン万次郎の教えを龍馬に伝えるのです。)

そこで龍馬は驚愕。


当時は、武士が偉く商人は下という考え方が常識。トップの幕府がやりたい放題でした。


しかしアメリカでは、才能あるものが評価される。またオランダの憲法では、民主政治によって選ばれた議会が内閣を作り、憲法によって定められた法律が全てという考え。


日本がいかに遅れているのかを実感するのです。

そこで龍馬は、天命を知るわけです。

日本を今一度 せんたくいたし申候。
~27歳、勝海舟との出会い~

龍馬にとって、異国は敵であり、日本を変える必要があると思っていました。


ただし、尊皇攘夷のなかでも、人を殺してでも力で国を変える、という考えにはなりませんでした。そして、脱藩を決意します。
(当時の脱藩は重罪で、家族も罰せられる。)


そんな思いの中、日米修好通商条約のために船長としてアメリカに渡った勝海舟と出会います。
(このときに仲介してくれたのが松平春獄。後で出るよ!)

そこでまた驚愕するわけです。
勝海舟が目指す日本とは、積極的に海外と貿易を行い、海軍でもって国を守る。つまり、対等な関係を築くことだと。

これに強い感銘を受け弟子入り、龍馬は海から陸を見るようになるのです。

”しかない”というのは世にない。人よりも1尺高くから物を見れば、道は常に幾通りもあり
~28歳


そして、神戸海軍操練所という、海軍を作るのです。
このとき、その莫大な費用を工面してもらった一人が、春獄です。彼は約10億という額を支援!
現在で言う、パトロンですね。

ただしこの操練所、池田屋事件(攘夷の強硬派が新撰組に斬られる)に参加していたものがおり、一年で閉鎖。

それでも龍馬はめげません。このときの門下生と共に、勝海舟の計らいで薩摩藩の西郷隆盛に力を借り、亀山社中と言う貿易会社を作るのです。

この亀山社中は、長崎のグラバー商会を仲介し、銃器や戦艦を運搬する、日本初の商社です。


後に海援隊となるのですが、海援隊の、龍馬の意志は陸奥宗光や岩崎弥太郎(現三菱グループの創始者)らに受け継がれるのです。

金よりも大事なものに、評判
~30歳

で、実はさっきの池田屋事件が発端で、長州藩VS幕府&薩摩藩の戦いが起きるのです。


結果は、長州藩の敗北。

これを踏まえて、龍馬は思うわけです。
このまま日本国内で争っていては、異国の思うつぼ。日本をひとつにする必要がある。」

そこで、当時の幕府に勝つ勢力を作るには、長州と薩摩が手を組むしかない。そこで、龍馬は二つの橋渡しとなるのです。

亀山社中は薩摩班の支援もあったので、薩摩藩から長州藩へ亀山社中を通じて武器を送り、長州藩から薩摩藩へ米を送る。

貿易によって二つを結びつけることに成功するわけです。

その結果、長州の力は増強。第二次長州征伐では幕府を返り討ち。ちなみにこの戦いのあと、心身の疲労からか、徳川家14大将軍家茂は他界するのです。

おれは日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりはない。
~31歳

その後、京都では15代将軍徳川慶喜や、土佐藩主の山内容堂らの会談が行われており、
そこに龍馬と土佐藩の後藤象二郎は船で向かっていた。
そう、その船内で話していたのが船中八策である。

この船中八策は、後の大政奉還や維新政府という考えの基礎となるものだ。


そして10月15日、大政奉還が行われるのであります。


ちなみにその後の新政府に、龍馬の名前はありません。新政府に入ってはどうか?と勧められると、こう答えたのです。
『わしは世界の海援隊をやります』


世に生を得るは事を成すにあり
~32歳

大政奉還がなされ、日本はひとつになった。
さぁこれからは世界だ。と思われた一ヶ月後の近江屋。

龍馬は何者かによって暗殺されるのです。
折しも33歳の誕生日でした。


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なぜ成功者は龍馬に惚れるのか

①柔軟性

まず特筆すべきはその柔軟性です。アメリカや西洋の文化をいち早く学び、その柔軟性でもって既成概念を次々に覆します。

②敵をも見方にするその話術

龍馬は、会う人会う人を次々に見方につけます。一説には、龍馬は類いまれなる聞き上手だったとか。まさにコーチング!!

③行動力

なんと言っても、その行動力。当時は新幹線なんてありませんから、簡単には行動できません。ましてや藩という制約。そのなかで時に大胆に、時に緻密に行動する様は、まさに生き様。

孫正義が、高校を中退してまでアメリカへ渡りその後、マイクロソフトのビル・ゲイツ、Yahooの創業者ジェリー・ヤン、スティーブ・ジョブズらを口説き落とした姿が
坂本龍馬の生き様に重なるのは、たまたまでしょうか?

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