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読書中:『言葉の贈り物』


先日小論文の過去問の文章で面白いものがあり、読んだ次の日に出題元の書籍を買いに走りました。

国語好きの方ならわかってもらえると思うのですが、教科書や入試問題って面白いものが多いですよね。ついついそこから原文を読んだりしてしまいます。

今回気になったのはこちら↓

『言葉の贈り物』若松英輔 著


体が食べたものでできているように、心はそれまでに接してきた言葉によって養われる。
(中略)
書くことに真剣に向き合いさえすれば誰でも、自分が本当に必要としている言葉を自らの手で紡ぎ始めるという事実だった。
(本文から引用)


若松英輔さんを初めて知ったのですが、この方の考え方がとにかくどハマりしました。実は、私がnoteを始めようと思ったきっかけも、この文章を読んだからです。

まだ読み途中ではあるのですが、本の冒頭で、「コトバ」は言語だけでなく、祈りや沈黙、まなざしでさえも意味を持つものはコトバであると述べています。
なぜカタカナで「コトバ」なのかは、ぜひ本を読んでみてください。

最近私は、借り物の耳障りの良い言葉ばかりを使っていました。特に人に何かを伝えようとするとき、自分の言葉に自信がなかったり、その人のためになるものを探そうとしたりした結果、誰かが言った良さそうな言葉をただ並べ立てていました。

そうすると、言葉に熱が乗らない、ということは自分でもわかっていました。

よく演劇を見に行くのですが、やはり配信で見るのと劇場に観に行くのは、ぜんぜん違います。現場では役者さんの熱量が、言葉や空気を通して伝わってくるのです。それは、ありきたりですが、言葉に感情があるかだと思います。

自分のスピーチに感情がこもっていないとは言いません。
ただ、うまく伝えることばかりに一生懸命で、本当にそれを心から信じて伝えられていない=自分の言葉ではないことが、相手にも空気で伝わってしまっているのでしょう。

じゃあ自分の言葉ってどうやって見つけるのか?

そのヒントがこの本にあるのではないかと思います。言葉は外に探しに行くのではなく、自分の中にあるものだと。花や実を集めるのではなく、自分の根を深く見つめるものだとこの本は言っています。

特別な言葉を見つける必要はなく、自分にとって大切な言葉になるのは、日常に近いありきたりな言葉かもしれない。
それだけでも、気持ちが軽くなりました。

自分なりの言葉を見つけるまで、無理せずこのnoteを続けていこうと思います。

本を全部読み終わったらまた感想を書きます。

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