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ジャガイモ大飢饉(ザ・グレート・ファーミン)

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・少しずつの改革

オコンネルによって組織立った整然とした抵抗に自信を付けたお陰か、1842年に機関誌『ネーション』がアイルランド独立運動のブレーンとして大きな影響を与えるようになる。
その編集長を務めたチャールズ・ギャヴァン・ダフィは、反逆罪で投獄され、結局は力を失い、オーストラリアに亡命するのだが…。

完全独立を勝ち取るには、武力も辞すべきでないと力強く主張したジョン・ミッチェルという思想家は、反逆罪でオーストラリアのタスマニア島に送られたものの脱獄してニューヨークに渡り、アイルランド系移民を中心にアイルランド独立を目指すフェニアン団(古代アイルランドの武士団にちなむ)という秘密結社を結成する。
彼らは国民世論を喚起する為、自らは犠牲となることを厭わず、武器や爆薬を密かに蓄えては成功の望みのない蜂起をカナダやアイルランドで繰り返し、イギリス政府に鎮圧された。

オコンネルの生前、ある程度協力してくれる政党もあり、カトリックでも警察官や司法官に任命されるものが増えていき、「十分の一税」も物納ではなく貨幣での納入でも良いと改善が図られた。


・1845年から四年間続いた大飢饉

遡るが、名君エリザベス一世の時代、女王から信頼された探検家ウォルダー・ローリーは北米で植民を行ない、その地を(結婚しないと誓った)女王にちなんでヴァージニアと名付けるが、植民事業は失敗に終わった。
当時、英国はスペインを恐れていて、女王はローリに対してもスペイン人と争わないようにと戒めていたのだが、結局戦わざるを得なくなり、帰国して処刑されてしまう。(1618年)

ウォルターローリー
エリザベス一世は美男子以外は極力取り立てなかったというから、矢張り美形だな

どうも、ローリは不在地主ながらアイルランドに農地を持つ人物だったらしく、彼が持ち帰ったジャガイモは「ローリの贈り物」と喜ばれ、1625年までにはアイルランド全土に普及していたという。
他の国では敬遠された作物だったが、土地が痩せ、荒々しい海に囲まれ、肴だけが唯一の天然資源で、低温の夏が多く気候条件の厳しいアイルランドでは、命綱となった。
クロムウェルによる20年物弾圧の時代を生き延びることができたのも、ジャガイモのお陰だと言われている。


当時のアイルランドカトリックの大部分を占めた零細小作農民たちは、小麦は税として徴収され、自分たちはジャガイモで食いつないでいた。
それが突如として病害で全滅することとなり、深刻な大飢饉に見舞われる。
それにもかかわらず、イギリスの地主たちは税の免除などもせず、小作農民たちは税を納め続けた。
表題の絵画は、畑のジャガイモが全滅しているのを見て、備蓄のジャガイモはと確かめたところ、それらもすべて腐っており、絶望する一家を描いたものだという。
その当時のイギリス内閣は自由放任主義を信奉していた為、碌な救済措置も取らず、そのことが現在でもアイルランド人の中には深い遺恨となって刻まれており、1997年にイギリスのトニー・ブレア首相は、イギリス政府の責任を認め、アイルランドで開催された追悼集会において、謝罪の手紙を読み上げることとなった。

当時のアイルランドの人口は九百万人だったが、百万人が餓死し、百五十万人がアメリカ(一部はイギリス)に移住した。そのうち三十万人は海の藻屑と消えた。ちなみに、今のアメリカにおけるアイルランド系住民は四千万人とも言われている。パトリック・デーが根付くのも頷ける。
その中には、ジョン・F・ケネディやロナルド・レーガンの先祖も含まれており、二人にはアイリッシュ特有の雄弁と演技力、それに攻撃的性格という特徴が備わっていたという。
逆に、皮肉っぽさと騒々しさや酒に走る性格は見受けられなかったというから、アメリカでの、少なくとも飢えに脅かされない生活が、落ち着きをもたらしたのかもしれない。

ともあれ、飢饉末期にはアイルランドの人口は半減し、四百五十万ほどになっていた。労働人口の欠如や、産業の未発達により、西部の土壌の貧しい地域では酪農が主産業となる。

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