皓夜

COTEN RADIOに影響を受け、歴史について楽しく学んでいる。 みんなにも分かりや…

皓夜

COTEN RADIOに影響を受け、歴史について楽しく学んでいる。 みんなにも分かりやすく伝えることができればと、己なりに噛み砕いて発信中。

最近の記事

日本酒が製品として出荷されるまで

前章 蔵人たちの闘いはこれからだ! 前回までで日本酒のアルコール発酵までの説明は終わったわけだが、きちんと製品として安定した状態で売り出す為には、まだまだ気を配らないといけないこと、やらないといけないことがある。 …ので、もう少し解説を続けたい。 前回までの解説の時点では、酵母サッカロマイセス・サケくんはまだなんとか生きてる。酵母くんが生きていると、どんどんブドウ糖を食べていってしまって、ドライになってしまう。 それから、高いアルコール度数にもやられることなく生き残る、

    • 日本酒の造り方

      日本人の職人的拘りが透けて見える、複雑な製造工程 日本酒の造り方について書いてある書物は、愛される日本酒だけにかなり多いんだが、愛故に事細かに記述されていて、予備知識のない人にとってはちんぷんかんな内容になってしまっているとか😅たべものラジオの噛み砕き力と俺の補完能力を合わせて、解説していきたい。 日本酒は幾段階もの複雑な工程を経て、醸造酒の中では、ビールよりもワインよりも最も高いアルコール度数を獲得できている。最も高い奴だと20%越え。 だから、加水して売り出すのが普

      • 酒は百薬の長って本当か!?

        初っぱなからネタバレ、でたらめです 中国の漢王朝、前漢と後漢の間の混乱期に現れた、短期王朝“新”の悪名高き愚王「王莽(おうもう)」が、「酒は百薬の長でとても素晴らしいものだから、これの販売権は王宮が独占する!」って、利権を独占する為に持ち上げるだけの言葉だった。他にも、塩や鉄にも同様なことをいって、専売特許にしている。 面白いのは、そんな適当な発言にもかかわらず、「酒は百薬の長」という言葉が呑兵衛の免罪符のように現代まで受け継がれてるってことで、それだけ酒を飲みたい側と

        • 日本文化にとって日本酒とは?…集団飲酒でパリピ化

          日本人はどういう状況で酒を飲んでた? 例えば、古代エジプトなどではビールは水の代わりに飲まれていた。 別に呑兵衛だからってわけじゃなく、水の品質が悪くて飲めないから、必要に迫られてビールを飲んでた。今のように澄んだビールではなく、度数も低いどぶろくめいた代物だったから、栄養ドリンクっぽい側面もあった。 パイレーツ・オブ・カリビアンの海賊たちがいつも酔っ払ってるのも、飲み水積んでも腐るから、ラム酒を水代わりにしていたからだ😹 じゃあ、日本での日本酒はどうなのかというと、清水

        日本酒が製品として出荷されるまで

          日本酒概要

          最近俺がはまっているたべものラジオは、毎回一つの食のテーマに拘って、様々な角度からうんちくを語り尽くしてくれるという番組なんだが、これを聴くと、その食に関する味わいが深みを増すという実感があったので、多少なりとも興味共感を覚えて貰えたならば、付き合えるところまで付き合って貰えれば幸い。 語ってる本人たちが、自分のことを変態呼ばわりしてるし、リスナーのことも変態扱いなので、くれぐれも無理はしないでくれ!(笑) 日本を代表するお酒、日本酒とは? そもそも、日本酒という名称自体

          日本酒概要

          アラン諸島

          今回の執筆は司馬遼太郎. 街道をゆく 31 愛蘭土紀行IIを大いに参考にさせて貰った。感謝。 アラン諸島はアイルランド島の東部に位置する、イニシュモア島、イニシュマン島、イニシアー島の3島からなる、人口1200人ほどの島だ。 その島は一枚のまな板のような岩盤だけで、土壌というものがほとんどなく、風が運んできた塵が岩の割れ目に溜まって僅かにこびりついているのを両手で掬っては岩盤上に置き、石垣で囲んで畑を作り、ジャガイモを植えるという極限状態の生活を長いこと営んできた。 石垣

          アラン諸島

          北アイルランド問題

          前章 ・アイルランド共和国独立後 戦後のアイルランドは相変わらずカトリック教国だったが、世界により開かれた形で交流し、めざましい経済的発展を遂げていった。 ところが、イギリス領である北アイルランドでカトリックが公民権運動を始めると、アイルランド共和国内のプロテスタント勢力が、これを阻止させようと海外からの武器密輸に手を貸すという事件が起こる。 しかも、それには蔵相だったチャールズ・ホーヒーという政府中枢の人物が関わっていたということで、アイルランド世間を騒然とさせた。

          北アイルランド問題

          対英独立戦争

          前章 ・血みどろの近代的ゲリラ戦に突入 第一次世界大戦後、1918年暮れの総選挙で、穏健なアイルランド議会党は大敗し、さきのイースター蜂起で指導者的役割を果たした急進的なシン・フェーン党が大量の同情票を集めて多くの議席を獲得する。 1919年初頭にドール・エレン(アイルランド国民議会)と称する代表者集会を招集し、大いに気勢を上げた。彼らの狙いは、第一次世界大戦の講和会議に於いてアイルランド問題を参加国に訴えることだった これまでの歴史に於いて、アイルランドを脱出した人た

          対英独立戦争

          イースター蜂起と七人の侍

          前章 ・実行直前の頓挫 アメリカの秘密結社の幇助によってドイツから武器を運んで来てくれていた輸送船が、アイルランド沖でイギリス海軍に撃沈された。 そして、「武装蜂起は無理だ」と同志たちを説得する為に、ドイツ海軍の潜水艦に乗って、アメリカから遙々帰ってきたロジャー・ケースメントなる人物も上陸直後に逮捕されてしまう。(後に処刑される理不尽) アイルランド政府は、意気消沈しているであろう危険分子をイースター後に一斉検挙してやろうと、余裕を持ってイースター当日を迎えた。 ・19

          イースター蜂起と七人の侍

          革命前夜

          前章 ・概略 パーネル没後30年経った頃、1891年 アイルランドを自由国とすることが認められる。 この近辺、イギリスの融和政策により、アイルランド人の多くはイギリスの制度を受け入れ、英語を国語とすることに然程の抵抗もなく、徐々に緩和されていく締め付けに将来への展望を見出していた。 それなのに、1921年にはイギリスとはっきり決別し、新しい独立国家の建設を目指していくこととなる。 それはなぜなのか、紐解いていこうと思う。 ・アイリッシュ・ルネッサンス! パーネル亡き

          革命前夜

          独立運動の高揚

          前章 ・はい! まとめます だいぶブランクが空いてしまって、自分が何をどこまで書いたか分からなくなってしまったので、滅茶苦茶大雑把にかいつまもう。 イギリスという、政治的バランス感覚に優れた海洋国家に支配されているアイルランドは、大陸のフランスやドイツに助けを求め、ときには応えて貰えて軍船が派遣されるものの、天候やイギリス軍の諜報力による察知で悉く阻まれてしまう。 外国勢力の助力による救済の望みを絶たれたアイルランドの人々は、次第に妥協するし、イギリス側も「十分の一税

          独立運動の高揚

          抗えぬ時流…

          前章 ・老獪なイギリスの十八番、『分割して統治せよ』発動! 当時のインドには、三つの政治コミュニティがあった。一つはインド人の大多数を占めるヒンドゥー勢力。もう一つは、不可触民というカースト制度の更に下に置かれた、触れることすら穢れになるとされた人々(日本の江戸時代におけるえた・ひにんのようなものか)。そして、ムスリム(イスラム教徒)。 ガンディーは統一インドの即時完全な自治を要求したんだが、イギリスは、上記の三者の対立を煽ろうと、不可触民だけが立候補できる選挙区を特別

          抗えぬ時流…

          肩書きなしの指導者へ

          前章 ・ついにインドに帰国 第一次世界大戦が勃発した頃に、インドに帰国。本当は里帰りもしたかったんだが、南アフリカが納得できる状況に落ち着くまで帰らないという覚悟もしていた為、20年ぶりの帰国だった。 ガンディーの本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)というもので、有名なマハトマという呼称はサンスクリット語の偉大なる魂というものだ。この後の活動から、マハトマ・ガンディーと呼ばれるようになったらしい。 そ

          肩書きなしの指導者へ

          サティヤーグラハ(真実の堅持)

          ・運動の始まり 南アフリカのコミュニティで活動を始めていたんだが、1906年にインド移民に対して様々な不当な法律が制定されてしまう。 最もタチの悪いのは、インド移民に対しては警官が令状なしで家に勝手に入っていいというもの。プライバシーもなにもあったもんじゃないし、逮捕しようと思えば、恐らく適当な違法物を持ち込んだりして罪を捏造できてしまう。いよいよ人権が無視されようとしている。 ここでついにガンディーは、バガヴァッタギータで学んだ、非暴力・不服従という概念で、イギリス領南

          サティヤーグラハ(真実の堅持)

          絶対に服従しないマン、爆誕!

          前記事 ・イギリス領南アフリカ連邦へ 全く仕事がない状況だったわけだが、ある日、南アフリカの企業から仕事の依頼が来る。かなり遠方だから、誰も行きたがらなくて、ガンディーのところに廻ってきたということだったようだ。依頼主はインド北西部のグジャラート人で、インド人と企業訴訟で争っているので、その弁護をして欲しいという依頼だった。それ程難しい仕事ではないという触れ込みでもあった。 丁度このとき、二人目の息子も生まれたばかりだったので、是が非でも生活費を得る為と、肩身が狭いのとで

          絶対に服従しないマン、爆誕!

          夢か現か

          仕事先でお世話になってる方と、その息子さんのはなしだ。 小学校三年ぐらいから、週に一〜二回しか登校しないという不登校が続いて困っていたらしいが、本人はきちんと学校に言っていると主張していて、親としては「嘘ばっかり😡」と呆れていたようだ。 ところが本人的には本当に学校に行っていた認識らしい。 どういうことかというと、夜型の生活を送っていた為、朝日を浴びることがなくてセロトニンが生成されず、睡眠を促すメラトニンばかりが生成されてしまった。 すると寝てばかりの生活となり、その夢

          夢か現か