皓夜

COTEN RADIOに影響を受け、歴史について楽しく学んでいる。 みんなにも分かりやすく伝えることができればと、己なりに噛み砕いて発信中。

皓夜

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    最近の記事

    ごとばんさん

    隠岐の島への途上、読んだといわれる歌  我こそは新島守(にひじまもり)よ      隠岐の海の 荒き波風心して吹け (私こそが、新しく来た島の番人である。隠岐の海の荒い波や風よ、今からは気をつけてもっと穏やかに吹くのだぞ) 誇り高さと心細さの同居した、胸打つ名歌に思われる。 恋愛面 流刑には、身分の高い女性を伴うことはできない為、最愛の女性だったという藤原重子や母である七条院とは泣く泣く今生の別れを告げることとなる。 だが、白拍子(男装の遊女)上がりの愛人の伊賀の局、女官

      • 2014年以降に起きたこと

        ロシアにとってのウクライナ ロシアにとってウクライナというのは、ほとんどロシアという感覚なんだ。ウクライナ語とロシア語は近いし、人種てきにも東スラブ民族であるし、宗教もロシア正教とウクライナ正教ということで近しい。 だが、ウクライナ人からすると、ロシア人からそう思われていることがうっとうしい。 ウクライナの国土は、約60万平方キロメートルあり、これは日本の国土の1.6倍。ヨーロッパではロシアに次ぐ第二の面積の国で、非常に巨大な国なんだ。ソビエト崩壊時点で、既に人口5200

        • 地政学から見たロシア

          地政学とは 地政学とは、地理学と政治学を合わせた考え方で、国家の戦略や戦術は、地理的な要素に左右されるということを研究する学問だ。 地政学には二つの流派があり、一つはイギリスで生まれてアメリカで発展した英米流の地政学。もう一つは、ドイツで生まれてスウェーデンやロシアで発展した、ヨーロッパの大陸の地政学。 英米流地政学 英米流の地政学は、ハルフォード・マッキンダーが提唱したもので、大陸を支配するランドパワーの国と、海洋を支配するシーパワーの国という二つの区分けをしている。

          • プーチン大統領となってから

            エリツィンの統治の困難さ ソ連崩壊後、かつてソ連に属していた共和国に対してロシアの統治管理が効かなくなっていく。徐々に離れていき、その際にロシア政府との間で軋轢が生じるということが頻発する。その一つが前述のチェチェン紛争。 第一次でロシアが負け、相互条約を結ばされたことから、他の国も同様に条約を結んでくれと要求し出すようになる。エリツィン大統領も、紛争を避ける為に多くの地域と条約を結ぶんだが、その結果として、ロシア連邦の領土が削られていくことになり、ロシア内でも批判が集まっ

            ウラジーミル・プーチンのルーツ

            情報源 良くも悪くも世界中で注目を集めている人物である。 ただ、彼を語るうえで一つの大前提がある。彼について詳細を知ることは、どうしても限界があるということだ。 彼個人に関する確実な情報というのは驚くほど少ない。そして、彼やロシア政府から発せられる情報は、ほぼ全て、プロパガンダの目的で操作されたものなんだ。 その他の情報といえば、ゴシップや憶測といったきちんとしたエビデンスのないもので、それを分ったうえで、それでも尚、研究している人もおり、今回はそれを参考にしてCOTEN

            大国に翻弄されるウクライナ

            ロシアに取り込まれ行くウクライナ東部 ピョートル大帝の100年ほど前、イヴァン雷帝という有名な王様がいた。 この人からツァーリを名乗りはじめ、モスクワ大公国は帝国化していき、ピョートル大帝の時代にロシア帝国となる。 その後、エカチェリーナ二世という名君が登場し、西ヨーロッパの列強諸国と対等なまでに成長する。 このようにロシアが成長していく過程で、ロシア皇帝は、ロシアを大ロシア、ウクライナを小ロシアと見做していくようになる。 1774年、クリミア半島にクリミア・ハン国という

            ウクライナとロシアの歴史

            キエフ公国の誕生 キエフ公国という国があった。ウクライナ語ではキーウだが、歴史的にはキエフと呼ばれているので、ここはキエフで。 キエフ公国を構成していたのは、7~8世紀頃に形成された東スラブ人という民族。 彼らは、今のロシア人とウクライナ人とベラルーシ人の先祖。 ドニエプル川というキエフのど真ん中を通っている川があるんだが、この川を中心として住んでいた人たちである。 伝説レベルの話だが、6世紀後半、三人の兄弟とその妹が、キエフに集落を作り、それが国の始まりだったと言われる

            7 オリヴァー・クロムウェル来襲

            アイルランドへの苛烈な報復 1649年清教徒革命によってチャールズ一世は捕らえられ、裁判に掛けられて処刑される。 これによってイギリス国内の内戦は終息し、議会勢力はアイルランドの武力平定に乗り出してくる。 議会派軍の総帥は清教徒革命の指導者オリヴァー・クロムウェル。 アイルランドにおける「新教徒虐殺」への報復と、アイルランド全人口の新教への改宗を求めて、苛烈な攻撃が加えられることとなる。 司祭たちは迫害され、カトリック教会の全組織が数年のうちに徹底的に破壊され尽くした。

            6クロムウェル登場前夜

            入植者による人海戦術 スコットランド王ジェームズ六世がアイルランド王も兼ねた時代、イングランドとスコットランドからの入植者が激増する。 その前提条件として、プロテスタントであることや、防御用の建物の建造などが義務づけられ、特にアイルランド北部であるアルスターを中心に、堅実な繁栄を見せていく。 この時期に、大量の樹木が伐採され、ヨーロッパ各地に材木として売り捌かれた為、現在のアイルランドには広大な森がなく、平坦な平野ばかりになってしまっている。 こうした入植者たちの成功を

            5 ヘンリー八世の宗教改革の余波

            アイルランドとは関係ないが、度重なる王妃の死産や流産の理由はヘンリー8世が若い頃にフランスで罹患した梅毒が原因らしい。 だから、エドワード6世も先天性の梅毒を患って病弱で夭逝してしまったらしい。 全部自業自得じゃないか、エドワード八世…!!! と、思わず込み上げた怒りをぶちまけたところで、 …さて、本題に入ろうかな。 キルデアの反乱 イギリスで、決して宗教学的な理由からではなく、離婚したいが為に英国国教会を設立するという宗教改革が、ヘンリー八世によって行われていた。 アイ

            2 アイルランド戦国時代

            【ヴァイキングの襲来】 九世紀頃には、百ほどの大小封建諸侯国に別れて相変わらず争っていたんだが、外国から侵略されたこともない為、修道院を中心に学術は盛んで、ヨーロッパ大陸に比べると文化的には先進地域と言えた。 西洋中世の写本といえば、まずこの写本の名前が挙がるというほどのダントツの逸品『ケルズの書』はアイルランド修道院で作成されたものだという。 そんな平和がヴァイキング襲来によって終焉を迎えることになる。彼らは文字を持たなかった為、動機は不明だが、アイルランドにあちこち入植

            1 古代アイルランド

            【古代】 アイルランドはケルト人の島と言われているが、ケルト人がアイルランドに渡ってきたのは紀元前六世紀頃で、それ以前にも先住民族がいたのかも知れないが、ケルト人に吸収される形で消滅している。 ケルト人は鉄器を駆使する勇猛果敢な戦士で、二頭立ての馬車を駆って敵陣に攻め入り、ギリシャやローマにも被害を与えている。背が高く肌が白い紅毛碧眼の民族で、彼らの姿に感銘を受けたギリシャの彫刻家たちがその姿を残している為、それを窺い知ることができる。 紀元85年、ローマのアグリコラ将軍がブ

            4 一進一退の植民地時代

            荘園と都市の形成 12~13世紀頃、ヨーロッパでは人口が増加し、食糧が高騰したので、人口が希薄なアイルランドで広大な土地を所有して、移民として小作人を連れてくることは、ノルマン人諸侯に豊かな繁栄をもたらした。 だが、土着のアイルランド農民は農奴として扱われ、自由を奪われることとなってしまう。 一方で、ノルマン人諸侯と婚姻関係を結んでいた部族は優遇されてもいたので、アイルランド人の中にも様々なグラディエーションができあがることとなる。 この地方の部族と固い絆で繋がったノルマン

            第七章 残された光、北条泰時は内政のプロフェッショナル!

            ・謙虚な好青年は思慮深き統治者へ 鎌倉殿の13人の中では、思いやりのある実直な好青年として描かれている北条泰時。 実際、父親である義時に輪を掛けて腰の低い人物だったようだ。 それでも、戦での実績も着実に重ね、39歳の時に起こった承久の乱では見事に総大将を勤め上げ、幕府方を大勝利に導くという華やかな軍功を打ち立てることとなる。 偉大なる父を失った後も、負けず劣らず偉大であった尼将軍政子とスーパー文官大江広元のサポートによって、執権として采配を振るうことができていた。 しかし

            3 ヘンリー二世に助け求めちゃったよ!

            12世紀半ばのアイルランドは概ねこんな感じ。四大巨頭が勢力争い。 そして、アルスターの「隻眼王」ディアノン・オロークに、レンスターのダーマック・マクマローが敗れる。 ディアノンは以前妻を誘拐された屈辱もあって、殺害しに掛かろうとするんだが、ダーマックは命からがら国外に逃れ、放浪の末にヘンリー二世に助けを求めてしまう。 ただ、ヘンリー二世は即位したばかりで支配体制を固めるのに忙しく、余裕がなかった為、ウェールズ辺境諸侯にアイルランド遠征の許可を与えた。 ダーマットは意気揚々

            間章 古代~中世国家運営は脱税との闘い!

            土地運営やら税制度の話は正直それほど面白くもないのだが、武士の誕生に密接に関わっていくことになるので、頑張って説明してみようと思う。 ・701年 大宝律令 文武天皇の時代 飛鳥時代末期に、大々的に打ち出された『全ての土地と人民は天皇のものである』という法律だが、僅か二百年で機能しなくなった…。 具体的には、田んぼを国民に与えて耕作させて、そこから税金を納めて貰うという法律なんだが、与えられる土地は成人男性一人当たり48平方メートルと少ない。 税率は3%なんだが、植え付け