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11 アイリッシュの気質

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ほぼ司馬遼太郎著作のアイルランド紀行からの抜粋。

アイルランド人は気骨、もしくは奇骨の民族である。
死神のように低温の自虐的なユーモアを持ち、起き上がった病み犬のような痛ましい威厳を感じさせる独自の修辞を供えているのが典型らしい。

クリント・イーストウッドが演じる『ダーティー・ハリー』という刑事物のシリーズがある。このアイルランド系のアメリカ人という設定のハリーという刑事は極端な目的主義者である。
悪をはなはだしく憎んでいる。
悪に挑戦する場合、偏執的に目的に直進し、常識や慣例、ときに法をさえ越えてしまう。
その強烈な集中力は、アイリッシュの典型的性格とされる。
チーム・ワークを嫌い、独力で戦う。
アイルランド人は組織感覚がなく、統治される性格ではなく、大きな組織の部品で甘んじるというところが少なく、部品であることが崇高な義務だという意識が薄い。それらは概してイギリス人が所有としているとされる性格だ。

ハリーの活躍は古代英雄的である。彼が身動きするだけで、警察組織という近代の中で様々な支障が起きて、それだけでドラマの綾を作る。
一人で仕事を押し通す為には自分だけの哲学と論理が要る。更には彼の独創を抑え込もうとする所長以下の圧力を撥ね除ける修辞力が要る。
そういう言語能力も、アイルランド人が持つ天賦のものなのである。

堂々たる国家でありながら国というにはあまりにも寂しく、民族というには固有言語は忘れられ、貧しさその他の為に自己の文化をろくろく育てることもできず、イギリスに阻まれて産業革命後のビジネスという文明に乗り損ねた。
アイルランドにあるのは、無気力、空元気、天才的な幻想、雄弁。
また、家々や谷々にいる妖精、さらに自己を見出す為の激しすぎる反映感情。
だからこそ、この国民性を好む人々も多い。


アイルランド人が吐き出すウィットあるいはユーモアは、死んだ鍋(Dead Pan)のように当人の顔は笑っていない。相手は暫く考えてから痛烈な皮肉もしくは揶揄であることに気付く。相手としては決して大笑いできず、といって怒りもできずに、一瞬棒立ちになる。

『ビートルズ』の四人のうちの三人までがアイルランド系なんだが、アメリカ公演で記者が子供のようなこの連中に愚弄されている。
記者が「ベートーベンをどう思う?」と彼らの音楽的教養を問うような莫迦な質問をした。するとリンゴ・スターは「いいね」と大きく頷き「とにかく彼の詩がね」。
女王陛下からMBE勲章を受勲したとき、第二次世界大戦でそれを貰った旧軍人たちが、抗議の為に次々と勲章を返上した。
そのことについて聞かれたとき、ジョン・レノンは「人を殺して貰ったんじゃない。人を楽しませて貰ったんだ」といった。これらも、死んだ鍋である。

カトリックの子だくさんと貧困を解決する為に、嬰児を食糧にすれば良いと書き記したスウィフトは更に、幼児の肉は美味だとか、その料理法や味付けまで詳しく執拗に書き綴っているという。
夏目漱石は彼のことを”風刺の天才”だと評しているが、正気かどうかその医学的精神を疑ってもいる。
ともかくもスウィフトの死んだ鍋は、鬼気を帯びている。
流石に想像力豊かな生粋のアイルランド人たちは、描写が執拗に過ぎると辟易したとか。

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